日本の大新聞は腐っている!


日本の大新聞は腐っている!
明日、つまり5月3日は日本国憲法が発効した日【憲法記念日】として祝日とされている。
だが、それは全く事実とは言い難い!
日本が戦争に負けたとはいえ日本人の生きる縁(よすが)であるべき国家における憲法という一番重要な基本法を米国の思い通りに戦争の放棄などを盛り込んで押し付けられた実に恥ずべき日と認識しなければならないのだ。
昭和27年4月30日、 この日に日本はアメリカから一応主権を回復した。
いわばこの日に至って初めて終戦を迎えたというのが正しいのである。
そして、その中で自利のみを追求して日本国民の心の中を全く無視してまで大罪を犯し続けてきた大新聞社というものの持つ犯罪的大罪に言及しようと思う。
敗戦からの7年間というものはアメリカから与えられる情報を善悪・真偽などの判断を全く無視して垂れ流し続けたのが大新聞社である。
そう! 彼らには正義などはどうでも良いのだ!
その時、自分達の売り上げさえ確保できれば良いのだ!
つまり、彼ら大新聞社こそ【悪魔に心を売った】売国奴に他ならないのだ。
【戦争を煽った大手新聞社】
日本の戦争責任というと、必ず槍玉にあげられるのが天皇陛下大日本帝国の軍部である。
だが、忘れてはならないのが当時の新聞社という存在だ!
大日本帝国時代の新聞は、常に戦争を煽るような報道を行っていた。
こう書くと、必ず『言論統制』によってそうせざるを得なかった!と言い訳をするのが新聞社なのだが、実は、言論統制が敷かれるずっと前から、好戦的な記事を書きまくっていたのである。
戦前の新聞というのは、現在よりもずっと世論に対する影響が大きかった。
当時はまだテレビの放送は始まっておらず、ラジオも普及率が50%以下だった。
国民のほとんどは、社会の情報を新聞から得ていた時代だったからである。
日本の新聞の発祥は、明治3年の横浜毎日新聞だとされている。
その後、新聞は急激に発行部数を伸ばして行く。
明治31年には大阪毎日新聞が10万部に到達。
日清戦争時には萬朝報は9万部、大阪毎日新聞が8万部、東京朝日新聞が4万部であったが大阪毎日新聞などは直ぐに10万部を突破した。
その後、新聞は日露戦争第一次世界大戦を境に、さらに部数を激増させていく。
ちなみに日露戦争前の時点で
報知新聞(現読売)8.3万部→30万部
東京朝日(現朝日)7.4万部→20万部
大阪朝日(現朝日)10.4万部→30万部
大阪毎日(現毎日)9.2万部→27万部
にまで部数を伸ばしている。
日露戦争では各紙が特派員を戦地に派遣し、通信の為の船をチャーターするなど、取材競争が激化した。
また『新聞の号外』が世間に認知される様になったのも、日露戦争の頃である。
各紙が号外を濫発し、朝日新聞などは1日に5回も号外を発行したことがあったくらいだ。
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また、戦争中は各新聞社がこぞって戦捷会なるものを開催した。
これは一種のお祭りで、日本軍が戦いに勝つたびに、日比谷公園から皇居まで提灯行列を行うのである。
東京では日露戦争中に58万6000人もの人々が行列に参加したという。
だが、日露戦争終結と同時に、新聞を揺るがす事件が起こる。
日露戦争では、賠償金がない講和条約が結ばれた。
その事に反発した国民の一部が暴徒化、日比谷公園などで焼き討ちが行われた。
大手新聞はそうした状況に、『講和反対』を掲げ、戦争の継続を要求した。
そんな中、大手新聞の一紙である國民新聞が『講和歓迎』の論説をはる。
すると暴徒は國民新聞を襲撃、社員に負傷者がでるなどの被害を受ける事になったのだ。
講和反対を訴えた大手新聞には、政府から発行停止などの処分が下された。
だが、それがかえって国民の支持を得て、部数を飛躍的に増加させた。
この事件は新聞の経営に大きな影響を与える事になる。
『威勢のいい好戦的な記事を書けば、新聞が売れる』
この一件で味をしめた新聞各紙は、その後、満州事変から大東亜戦争まで一貫して好戦的な記事を書き続ける様になる。
満州事変の直後、国民の間で『慰問袋』や軍部への献金運動がブームとなったが、それを扇動したのも新聞だった。
先に述べたように、当時の新聞には国民世論に対する大きな影響力があった。
それを考えると、新聞各紙にこそ日本を泥沼の戦争に陥れた責任があるとも言えるのだ。
終戦直後に朝日新聞鳩山一郎の「戦争責任は白人植民地主義国にこそある」という主張を掲載した。
即座にGHQによって発刊停止処分を受ける事になる。
するとどうだ!
前日とは打って変わった日本悪玉論を一方的に掲載する様に変節する事になる。
新聞各紙は戦後になると自分達の戦争責任には一切触れる事なく、全ての責任を軍部や政治家、挙げ句の果てには恐れ多くも天皇陛下にさえその責任を転化している始末なのである。
殊更に私が言うまでもなく、報道とは公明正大・中立を貫く気概が無ければ最早その役目は終わっているのである。
日本の新聞などは広告であり、まことしやかに社説などと言う形で嘘八百を垂れ流す物であると認識するべしなのである。

・・・て、ゆうてる人がおる!(^O^)