震災と南十字星


Slim Dusty - Waltzing Matilda
オーストラリア第二の国歌と呼ばれるほど、老若男女問わず愛される曲です。
内外の多くの歌手にもカバーされ、日本では映画「渚にて」の主題歌として知られています。
歌詞は、警官に捕まりそうになった羊泥棒が、捕まるぐらいならと沼に飛び込んで溺死するといった内容で、なんでそんなものが第二の国歌と言われるほど人気があるのか?
ま、それはオーストラリアの歴史を紐解けばなんとなく見えてくるのですが。(^O^)

昨夜、訪問者履歴を見ると、見慣れないHNが・・・
なんとなくクリックしてみたところとあるブログに・・・
ん?宮城県の人? 記事の中に「オーストラリアン・サファリ」の文字・・・
なんか見覚えのある人が・・・
えっ! ○○○さんや\(◎o◎)/!
私が一回目のサファリに出場した1989年、宮城県から参加してた方で、ほとんど無改造のバイクで、それも200ccの小排気量で見事に6500キロを完走されたすごい人です。
恐らくサファリ完走の過去最少排気量であると思います。
あまり言葉を交わした記憶は無いのですが、その存在感は強烈に私の中に残っておりました。
氏のブログを拝見すると、そこには・・・
東日本大震災津波によって全てが流されてしまい、思い出の写真なども失くし、辛うじて泥の中から見つけ出したわずかな写真を使って「自分史」としてサファリ出場を記事としてアップしておられました。

イメージ 1
シドニーからダーウィンまでの6500キロを10日間で競うこのラリー。
キャンプ地ではテントに入って眠りにつくまでのわずかな時間、選手同士が焚火を囲み語り合います。
空には南十字星が輝き、満天の星空です。
あのラリーから早や四半世紀以上、この世を去った者や、今もまだあのころのように夢を追いかける者、それぞれの人生がありそれぞれの時間が流れました。
そして、3.11以降、氏がどれほど大変な思いをされたことか・・・

阪神淡路大震災では、私は軽微な被害しかありませんでした。
ただ、当時の仕事柄、震災当日には神戸中心部に入り、それまでの価値観や人生観などが大きく変化しました。
今思うと、私が仕事も住む場所も変え、そして今があるのは、恐らくあの震災が最初のきっかけであったと思います。

あの砂漠で、同じ南十字星を仰ぎ見た懐かしい仲間、違う場所で違う時間を過ごして四半世紀・・・  
それがまたブログで繋がるとは・・・
さて、今年の秋ごろには宮城までツーリングするかな(^O^)