宿舎の思い出

本日は休みで明日は仕事。
昨日から引き続きアルバムのスキャンをしています。
懐かしい画像が次々に出てくるので、作業が遅々として進みません。^_^;

前記事で紹介したオーストラリアン・サファリには、私は3回、チームとしては5回出場しているのですが、レースのスタート地点とゴール地点では準備や後片付けがあるため、それぞれに1~2週間ほど宿舎を用意します。
宿舎を選定する基準としては、利便性以外に、その年に参加するメンバーの中で、一番貧乏な奴に合せるというのがチームの基本方針となっております。

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92年の宿舎に選んだのは過去記事のhttp://blogs.yahoo.co.jp/kitanotamotu/31353359.htmlにもあるシドニー中心部から少し離れたClovellyの安モーテルです。
このモーテルは私たちが泊まった数か月後には、『シドニー花嫁失踪事件』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%8A%B1%E5%AB%81%E5%A4%B1%E8%B8%AA%E9%A8%92%E3%81%8E#.E7.99.BA.E8.A6.8Bの舞台として日本でも一躍脚光を浴びました。^_^;

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部屋の中は大量のスペアタイヤやパーツで足の踏み場もないほどです。

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各フロアに共同のキッチンが有り、自炊して経費節減に努めます。
この日は天ぷらと溶き卵の吸い物、米はジャポニカ種のサンホワイトです。

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スタート前夜、レース前の最終ミーティングです。
カニックとの打ち合わせや、チーム内での決め事を最終確認します。
奥のベッドに座ってる奴はこの時点で風邪をひいて発熱してます。ヽ(^o^)丿

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翌朝にはシドニー郊外のアマル―パークスピードウェイからスタートです。
ここから10日間6500キロの闘いが始まります。
この年の私のゼッケンは58番。
この時点では晴れていましたが、1時間後には地獄が待ち受けていました・・・\(◎o◎)/!