砂漠のパチンコ屋

piyotan姐さんとcountry-gentleman大兄のリクエストにお応えして、前記事のコメント欄に書いた「砂漠のパチンコ屋」について書きますね。

さて、人生や日ごろの生活においても色々な形で限界・極限はやってきますが、ここではかつて参加したラリーで、私自身が経験した、もしくは垣間見た精神的限界と肉体的限界とその具体的症状について書いてみます。

オーストラリアのシドニーからダーウィンまでの6500キロを10日間で走る「オーストラリアン・サファリラリー」は、85年に初開催され、当時はパリダカやファラオラリーとともに世界三大ラリーのひとつでした。
私はこのラリーに3回出場したのですが、実に内容の濃い経験をしました。
6500キロを10日間となると、平均しても一日に650キロを走るわけで、それも舗装路ではなく砂漠や荒れ地を走るわけです。

ラリーは毎年8月に開催されるので、彼の地の季節は真冬。
朝のスタート時には水筒の水がシャーベットになることもあります。
対して日中の気温は40℃を超えるため、寒暖の差が激しく、これが体力をそぎ落としてくれます。
このような過酷な状況の中、毎日テント生活をしながらゴールを目指すわけですが、この10日間の中で実におもろいことが多く起こります。
今回の記事は私自身が初参加の89年http://blogs.yahoo.co.jp/kitanotamotu/2183008.htmlに経験したことです。

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これは朝スタートを切ってしばらく走ったところで、過去記事http://blogs.yahoo.co.jp/kitanotamotu/23019351.htmlに登場する随筆家の茂木ふみか女史が撮影してくれたもので、向かって左が私です。※画像は94年のものです。
このようにラリーは毎日暗いうちにスタートし、西に向かって走っているので背後から朝日が昇ってきます。

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明るくなるとこんなかんじです。 チェックポイントで小休止中。
鼻をかんでるのが私。 ※バイク雑誌からの切り抜きで、94年のものです。

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朝スタートした時に登った太陽が、地平線のむこうに沈んでいきます。

大陸に沈む夕日は息をのむような美しさと迫力で、空全体にグラデーションがかかり、赤い大地と一体となり、まさに大自然のショータイムです。

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私の92年のヘルメットは、この夕陽をイメージしたカラーリングです。

トップクラスの選手はだいたい日没前後にキャンプ地へゴールできるのですが、私を含め多くの選手はここからナイトステージへと突入します。
さて、ここからが問題の時間帯なんです。
昼間は360度地平線が見えるような茫漠とした砂漠や大平原なんですが、陽が暮れると漆黒の闇で、見えるのは自分のヘッドライトの光軸の範囲だけです。

この漆黒の闇の中を走っていると、最初に先ず妙な錯覚が襲ってきます。
左側が山肌で、右側は谷のような感覚になるのです。
そして、延々とまっすぐ走っていることに不安を感じ出し、「そろそろカーブが出てくるはずや」と思いはじめ、すると100メートルほど先にカーブが出現します。
ところが近づくとそのカーブは消滅します。
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実際に走っているのは概ねこのような場所で、山も谷もありません。
これは恐らく、まだ砂漠の風景が脳に擦り込まれておらず、暗闇で見えないために
走り慣れた日本の林道を脳がイメージしているものと思われます。

スタートから数日後、私は午前中に大きくミスコースし、気づいて引き返す時に大転倒しました。
というか、ヘリの音で目が覚めたのですが、どうやら転倒して脳震盪を起こしたのでしょう。
ヘリにはラリードクターが乗っており、ドクターストップがかかってはまずいと、大慌てでマシンを起こし、ヘリが着陸する寸前に再スタートしました。
これでかなりの時間と体力を消耗し、ほぼドンケツでナイトステージに突入する羽目となりました。

暗闇の砂漠を一人でナイトランしていた最中、砂漠に忽然とパチンコ屋のネオンが出現しました。
私は「あ~ あそこに行けば温かい缶コーヒーが飲める♪」と大喜びしました。
そうとう疲れて寒かったんでしょうね・・・
そのパチンコ屋のネオンに見えたものは、自分のマシンのライトが反射した缶詰の空き缶でした。
そして、しばらくたったころに今度は「踏切」が出現しました。
銀色の電車が走っており、私は遮断機の前で停車しています。
ところが、いつまでたっても電車は走り過ぎません。
「えらい長い電車やのう・・・」と思って、ふと我に返ると・・・
牧場の有刺鉄線の前で停車している自分がいましたヽ(^o^)丿
遮断機や電車に見えたのは太い有刺鉄線やったんです。
でも、その時はカンカンカンと踏切の警報音も聞こえていたような気が・・・
あまりの疲労と寒さや睡眠不足によって、走りながら夢を見てたのか幻覚なのか・・・?
恐らく、走り慣れた日本とはあまりに違う環境に加え、夜の闇で周囲の状況が掴めないため、自らの脳内でそのような人工物や、自分が欲してるものを作り出してしまったんでしょうね。
このような経験は他の選手も口にしており、92年に初参加したチームメイトが後に語った体験としては、走っている最中に私とチームリーダーのS氏の話し声がずっと聞こえてたと言うのです。
私も聞いたことも無い音楽がエンドレステープのように鳴っていたことがあり、そのメロディーは今も覚えています。
また、私の前年に出場した「炎の午」http://blogs.yahoo.co.jp/kitanotamotu/32458055.htmlのK君は、砂漠の真ん中で力尽きて倒れていた時、数十本のバオバブの木が、歩いて近づいてきて自分の周りを取り囲み「こいつはもうすぐ死ぬぞ、死んだらみんなで食べようね」と言ったらしいです。^_^;

ナイトステージを経験した多くのライダーが口にするのですが、遥か彼方にキャンプ地の灯りが見え「あ~ やっと今日のゴールや・・・♪」と思ったら、それはすぐに見えなくなり、果てしなく闇が広がっている・・・
これも恐らく自分の脳の中で作り出した幻なんでしょうね。
昔からよく言う「旅人が狐にばかされた」っちゅうのはこのような現象やったんやないかと思うんです。
姐さん、大兄、 ま、こんな感じなんですが、ご感想は?^_^;