DAJARRA

かつて出場したオーストラリアン・サファリラリー
シドニーからダーウィンまでの6500キロを10日間で走るこのラリーは、給油などで途中でいくつかの集落に立ち寄ります。
オーストラリアは沿岸部に人口の大半が住んでおり、内陸部にはほとんど人家はありません。
住んでいるのも先住民のアボリジニが多く、今回の記事のタイトルであるDAJARRA(ダジャーラ)もそのような集落です。
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私を含む日本人選手4人と白人選手3人で給油していたら、村の子供たちが遠巻きに私たちを見ています。

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年長らしき男の子が、偵察するように自転車で微妙な距離をとって私たちの近くを横切ります。
私が手招きすると少し恥ずかしそうな様子で近寄ってきました。
私がウエストバッグからお菓子を出して手渡すと、次々に他の子供も出てきて、10人ほど集まりました。
フェイスマスク姿は過去記事http://blogs.yahoo.co.jp/kitanotamotu/32713428.htmlに登場するS氏です。
しばらくすると民家からでっかいおっさんが出てきました。
どうやらこの集落のリーダー的な人物で、名前を名乗り、来訪を歓迎すると握手を求めてきました。
しかしそれは私たち日本人に対してだけで、白人とは目線を合わそうともしません。
白人もまた彼とは目を合わさず、お互いを無視しています。
きっと彼は同じ有色人種の私たちだけを歓迎したのでしょう。
私たちと同じ黒い瞳をした子供たちも私たちだけになつきます。

その日の夜、キャンプ地にゴールしてから、オーストラリア人選手にあの給油地点でのことを聞くと、多くを語ろうとはしません。

豪大陸発見から開拓時代にかけて、またその後の白豪主義の中で、この国で何があったのかはある程度予備知識があったものの、実際にその場に立つと過去の負の遺産みたいなものがいかに大きいかを実感しました。
白人は贖罪の意識と、今も根底にある差別意識との狭間にあり、アボリジニは現在の補助金漬けの生活と過去の記憶の中で日々を送っているのか・・・
タスマニア島アボリジニは毒入りのジャガイモや小麦を配給されて絶滅したと聞いた。
白人入植当初はアボリジニを人間とは思っておらず、猿が進化したもの程度に考えていたとも聞いた。
僅か200年ほど前のことで、いかに白人が我々有色人種を人間扱いしていなかったかが判る。
その日の夜はそんなことを考えながらテントの中で眠りに落ちていったことを、今日アルバムをスキャンしていて思い出した次第です。