人と動物の違い

韓国フェリーの沈没で、様々な人間模様が見えてる。
乗客をほったらかしてオノレだけさっさと避難しよった船長もいるかと思えば、小さな妹に自分の救命胴衣を着せ、自らは両親を探しに戻った六歳の兄。
この女の子をリレーで助けた高校生。
引率する生徒に救命胴衣を投げ続け、最後に客室に残った生徒を探しに戻って命を落とした教師。
日米の協力の申し出を、安モンの面子のために躊躇した政府の偉いさん達。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140419/kor14041900510002-n1.htm
自分だけ助かった後ろめたさで首を吊った教頭。
船長や航海士には逮捕状が出され、日ごろから反日に情熱を燃やす女性大統領には罵声が浴びせられ、沈没後に船内に取り残された乗客からのSNSへの書き込みが全て偽物やったことが判明し、警官や関係者に掴みかかる行方不明者家族もおり・・・
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18日、船に閉じ込められた不明者の家族らが転覆現場近くの港で、仏教に基づく儀式を執り行った=韓国南西部・珍島(ロイター)

まあ今回の事故でもほんま色々なシーンを報道で見ることが出来る。
避難を浴びる人や、称賛される人。
これは人間としての道義的な評価の結果として、このような差が生まれるんやけど、そこでふと考えてみた。
人間を含むすべての生き物の最大の目的は何やろか?
生物学的に見ると、「己の遺伝子を残すこと」となる。

今から30年ほど前に友人家族たちとともに北海道をバイク6台とキャンピングカーでツーリングした。
職種も学歴もバラバラのメンバーで、共通項はバイクが好きというだけの集まりである。
野付半島でキャンプしている時に、三流私大卒、中古外車店社長のT氏が「熊やっ!」と叫んだ。
すると、神戸大卒、一流商社勤務のY氏は、自分の妻子ばかりか、女子供をかき分けて真っ先に車の中に逃げ込んだ。 
同志社大卒、建築技師で、後に私のラリーチームのリーダーになる独身のS氏は自分の妻子がいるわけではないのに、スコップを持って仁王立ちになって身構えた。

T氏の「熊やっ!」は、氏の迫真の冗談やったんやけど、この一件でY氏の奥さんは「旦那の正体見たり」という、実に禍根を残す冗談となってしもた・・・ヽ(^o^)丿
対してS氏はその男らしさや勇気を高く評価される結果となったことはいうまでもない。
人間として、また男として見た場合、S氏は○でY氏は×となるのは人間社会では当然なんやけど、生物学的に見るとY氏のとった行動のほうが正しいとも言える。
熊に食われて死んでもうたら、自分の遺伝子はそれ以上は残せんわけやから。
もう一つの見方としては、S氏はそこで自分のオスとしての勇敢さをアピールすることによって、群れの中での信頼と尊敬を得る事も出来る。
何れにせよ、咄嗟にとった行動なんで、一般的にはその人の人間性や人柄の評価として判断される。
なお、私はこの出来事の翌日に合流したので、私自身現場に居合わせたらどのような行動に出ていたのかはわかりまへん^_^;

動物は自分の命を危険に晒して仲間を助けたり、また別の群れを助けたりはしません。
あくまで自分のことを最優先に考え、そして遺伝子を残していくことが動物の大義です。
人間も昔はそうやったんかな・・・?
しかしあなぐらで暮らし始めたころには、少なくとも自分の家族や仲間を思いやる気持ちは定着してたと思うし、有史以前には既に家族や友人は当然ながら、地域や部族の為に自らの命を差し出す観念も出来上がっていた。
時代が進むにしたがって、職業上・立場上の責任というものも確立され、船長や艦長は船と運命を共にするとか、自分は最後まで艦上に留まる。
軍人は国家や国民の為に命を差しだし、警官も市民の為に自分の身を危険に晒す。
つまり、人間と動物の最大の違いは、この「道義」や「責任」が遺伝子を残すことよりも優先されるっちゅうことなんやろか?
となると、やはり今回の船長たちのとった行動は人間としては非難されて当然やな。

今回の件で日露戦争で軍神となった広瀬武夫中佐のことを思い出しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%80%AC%E6%AD%A6%E5%A4%AB
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