薩摩焼の約束

Googleのストリートビューや衛星画像は今や世界のあちこちを網羅しており、過去に訪れた場所が今はどうなっているかを知るのにも役立ちます。
今日はたまたまシドニーやその周辺を見ていたのですが、懐かしい街並みが次から次に出てきました。
それで思い出したのが、あるお婆さんと薩摩焼の思い出です。

20年前の8月、2回目のオーストラリアンサファリラリー出場の為に私はチームメンバー6名とともに渡豪しました。
レーススタートの10日前にシドニー入りし、この期間中に真夏の日本から来た身体を冬型の身体に切り替えるのですが、さらに10日間のレース中に消耗する分を計算して目いっぱい体に脂肪を付けるため、高カロリーの食品を大量摂取します。
この年、シドニーでの宿舎に選んだのはシティー中心部から少し離れたClovellyという町です。

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シドニー湾に面した閑静な住宅地といった趣きの町で、観光客が来るような場所ではありません。

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私たちはその町にあるこの安ホテルを宿舎に選んだのですが、このホテルは一階駐車場のセキュリティーが悪く、レース前にバイクを盗まれでもしたら大変なので、安全なバイク置き場を近所で探すことにしました。
近所の人にその旨を伝えると、すぐに近くの花屋さんの店番をしているお婆さんが「うちのガレージを使えばいい」と言ってると連絡をくれました。
さっそく花屋さんにそのお婆さんを訪ねると、如何にも英国移民といった感じの上品なお婆さんで、恐らく80歳近い年齢と思われました。

彼女の家は花屋さんから2ブロックほど離れた場所にありました。

この国ではこれが普通かもしれませんが、日本では相当大きな部類に入るような家に、ご主人を亡くしてからは一人で住んでおられるようで、大きなガレージに私たちのオートバイを預かってくれました。
ガレージ代の交渉をすると「そんなもの要らない」と言ってききません。
そして「貴方たちの大事なモーターサイクルを、夜中に勝手に乗らないことを約束します」と抜群のジョークまで。ヽ(^o^)丿

私たちは「レースが終わってシドニーに戻ってきた時に改めて何かお礼をしよう」ということで、とりあえずはお言葉に甘えることにしました。
この年はあの大東亜戦争で、日本軍の特殊潜航艇がシドニー湾を攻撃してちょうど50年。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%BD%9C%E8%88%AA%E8%89%87%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%82%B7%E3%83%89%E3%83%8B%E3%83%BC%E6%B8%AF%E6%94%BB%E6%92%83
また、日本軍によるダーウィン爆撃からも50年。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%A9%BA%E8%A5%B2

シドニーの海洋博物館でもその特別展が開催中で、私もレース終了後に訪れたのですが、このお婆さんは丁度そのころに青春時代を送っていたことになり、まして白豪主義の中でその人生の大半を過ごしてきたわけですが
、どこの馬の骨とも判らない我々を暖かく受け入れてくれたその親切さには少々の驚きを覚えました。

レースが終了して、再びシドニーに戻った私たちはバイクをはじめとする器材の船積み手続などを終え、あのお婆さんのところにお礼を言いに伺い、改めて何かお礼がしたいと申し入れると、最初は拒んでおられたのですが、私たちが「それではお金ではなく、日本から何か送るから、日本の物で何か欲しいものは無いか?」と訪ねると、それなら・・・・と遠慮がちに「サツマが欲しい」と言いました。
「サツマ? SATUMA? 薩摩?」・・・・ なんのこっちゃ?
何度聞き直してもやはり「サツマ」と聞こえます。
鹿児島県をあげるわけにはいかんし、ひょっすると薩摩揚げのことか?
すると、お婆さんの口から「China satuma」という言葉が・・・
「いや、あのね・・・薩摩は鹿児島県で中国とちゃうねん」
などと、あれこれ言ってるうちに、あれ?もしかして
Chinaってのは陶磁器のこととちゃうか?
となると、たしか「薩摩焼」とかいう陶磁器があったような無かったような・・・・
私たちの理解の悪さと伝統工芸に対する疎さを察したお婆さんは、私たちを部屋に招き入れて、そこにある数点の日本の陶器を見せてくれました。
kiyomizu、kutani、imari・・・
なぁ~るほど! このお婆さんは日本の陶器が好きなんや!
ようやく事が理解できた私たちは、日本に帰ったら薩摩焼の詰め合わせを送るからと約束し、お婆さんの家を後にしました。

そして、帰国後すぐに、私の母に「薩摩焼って知ってるか?」と訪ねると、母は「これや」と言って押し入れから箱を出してきました。
小さな花瓶で、母にその値段を聞いて少し驚きましたが、約束は約束です。
ただ、詰め合わせは勘弁してもらうことにして、鹿児島の山形屋百貨店から花瓶を取り寄せ、お礼の手紙を添えて航空便でお婆さんに送りました。

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たぶんこんな感じのやつやったと思います^_^;

あれから20年の歳月が流れ、今日、グーグルのストリートビューでお婆さんの家を探したのですが、どうにも見つかりません。

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ほぼ間違いなくこの場所だったはずなのですが、新しい家が建っています。
そりゃあれから20年、 恐らく亡くなられているのでしょう。
それでお婆さんの家は取り壊され、新しい家が建ったのでしょうね・・・

ま、今回はこんなお話でしたが、ストリートビューで懐かしい街並みを見ながら、あの親切なお婆さんのことを思い出したり、あの花瓶は今もあの国の何処かにあるのかと思いを巡らせたり・・・
みなさんもストリートビューやグーグル・アースで思い出散歩をされてみてははいかがですか?