肩寄せ合って



フキの唄 吉田拓郎
この曲の歌詞にもあるように、私が子供だった頃、高度経済成長の最中とはいえ、庶民の暮らしはまだ貧しく、そして今では考えられないほど不便で、それだからこそ隣近所が助け合って生きていたように思います。

私は子供のころは兵庫県姫路市に住んでいました。
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ちょうど赤丸の辺りです。
世界遺産の姫路城のすぐそばで、城下町の面影を残しつつも、実に庶民的な町でした。

このころ、三種の神器と呼ばれたテレビ・冷蔵庫・洗濯機はほぼ全ての家庭に普及していたように記憶していますが、電話や自家用車はまだまだすべての家にというわけにはいかず、私の記憶では近所でも電話の無い家が数件あったように思います。
NTTの前身である電電公社から購入する電話加入権がバカ高かったのが最大の原因でしょう。
で、電話の無い家は、かけるときは近所の公衆電話を利用し、受信用としては近所の家の電話を使わせてもらう「○○方呼び出し」が当たり前に行われていました。


たしか東京オリンピックのころやったと思います。
我が家が晩飯の時、電話が鳴り、母が出るとうちの裏の家の小林さんの郷里からでした。
母が小林さんの奥さんを呼びに行きます。
「晩御飯の最中にごめんな~ 」と小林さんの奥さん
私たちが晩飯を食ってる横で受話器を持った小林さんの奥さんが 「えっ!」と言ったまま絶句し、あとは涙声で言葉になりません。
電話の内容は訃報で、奥さんのお父さんかお母さんが亡くなったように記憶しています。
ま、人の家の電話で呼び出すわけですから、大体が重要で緊急性のあることばかりなのです。
さらに今とは違い、長距離電話はかなりの高額で、必要事項を単純明快に伝える必要があったのも当時の電話の特徴です。
小林さんの実家は九州の何処かだったと思うのですが、さあ、それからが大変。
小林さん家族三人が九州に駆け付けるにしても、新幹線も無い時代です。
それよりも前に、電車賃がすぐにはありません。
明日の朝いちばんに郵便局に通帳とハンコを持って行って預金を引き出すまでは身動きがとれないわけです。
うちの父が、「電車賃はなんとかするから今から寝台車で行ったらええ」 
そして母に「おい、今うちに金はなんぼある? あ、香典も要るぞ、足らんかったら清水と山下にも聞いて来い」
晩酌の途中でほろ酔いの父は「俺が駅まで車で送ったるから、あんたらは今のうちに喪服やらなんやら用意せんかい」
母が近所何軒かを走り回って電車賃を確保。
用意が整った小林さん家族が父の車に乗り込むときに、清水のおばちゃんが「汽車の中で食べ」と大急ぎで握ったおにぎりを渡し、母も我が家の売り物のパンや飲み物を持たせます。
そして、騒ぎを聞きつけた近所の人たちも、心ばかりの香典を在りあわせの適当な封筒に入れて集まってきます。
まさに町内総出で小林家を送りだしたわけです。
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ほろ酔いの父が車で小林さん家族を送り届けた、当時の姫路駅です。

晩飯もどこに入ったか分からんほどのてんやわんやの騒ぎだったのですが、これが現代なら、自分の家の電話か携帯に連絡が入り、コンビニのATMで現金を引き出すなり、緑の窓口でクレジットカードで乗車券を買って新幹線に乗ればすむわけで、近所の世話になる必要は全くないわけです。
いや~ なんとも便利な時代になったもんです・・・

でも、現代の日本は、手に入れた便利さと引き換えに多くの物も失ったように感じます。
あ、こんなこと感じ出したのは実際にはここ数年で、やはり歳をとったっちゅうことですかね・・・ヽ(^o^)丿