大会10年回想録前篇、うな輪時代

私が鰻釣り大会なるものに参加しだして早10年がたちました。
この鰻釣り大会は、元々は香川県のローカルサイト「三豊なんでもニュース」の中の1コンテンツであった「鰻釣りコーナー」がアクセス数の増加に伴い、2002年「鰻の輪」に改名」して独立サイトとなり、メンバーの居住地も全国に広がり、2003年の6月に「全国鰻の輪釣り大会」として第一回目が開催されました。
その前年、ひょんなことから鰻釣りを始めていた私は、大会3日前にネットで偶然見つけた「鰻の輪」にメンバー登録して、記念すべき第1回大会に出場することになりました。
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第1回大会の成績表です。 私は型の部4位・数の部5位(当時はトモエのHNでした)

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第2回にあたる7月大会の成績表です。 私は開始早々に90cmオーバーを釣り、優勝を確信していたのですが、スカリから逃げられてしまいました。(T_T)/~~~
主催者であるふ~さんのご判断で、2位となったのですが、証拠画像も何もない状況でこのような判定が下るとは・・・ 正にこのころから「性善説」で成り立つ大会であったわけで、特に初年度ということもあり、かなり寛容だったのでしょうね。
賞品が存在するのも現在との大きな違いです。 讃岐特産の水蜜桃備前焼などの豪華賞品でした。
同年はこの2大会のみの開催となりましたが、翌2004年からはシリーズポイントが与えられることとなり、5~9月の月大会での獲得ポイントの合計でチャンピオンを争う形に進化しました。

さて、ここからは各シーズンのチャンピオンシップや、記憶に残る大会、、そして年々増加する全国のアホ出場者を時系列で振り返ってみたいと思います。

                            2004年
「鰻の輪」から「うな輪」と改名し新たなシーズンを迎えました。
この年から私とトモエJr・トモエ兄の3名で「丹後組」を名乗り、シリーズ戦に本格参戦となりました。
5月大会では3人での型の部表彰台独占を目指したものの、超ベテランの福岡の「かっぱ@すっぽん」さんに優勝を奪われ、2位トモエJr 3位トモエ兄 4位トモエとなりました。
数の部では全国的に渋い状況であったため、4本釣った私が拾い物のような優勝。^_^;

6月大会は今でも記憶に残るほどの大雨でした。
夕食用の弁当も完全に水没し、合羽すら用をなさないほどの雨の中で夜明けまで頑張りました。
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東京の古豪ウナギバスターズさんに加え京都のリアリさんや千葉のGUUさんなど、新たな強豪が登場した大会でもありました。

7月大会は今でも忘れられない大会となりました。
夕方から断続的に襲い来る雷雨の中、全身ずぶ濡れになりながら何度か場所を変え、深夜3時の時点までただ一人釣れていなかった息子が稲光の中で大型を釣り上げ、悲願であった初の表彰台独占を達成しました。
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この大会から、私のブログに登場する荒しのオラちゃんこと、さいたまのやっちゃんが出場していますが、初参加で数の部3位はなかなか立派なのですが、恐らくこれが唯一の入賞であると思われます。

同年は8月大会は無く、9月の大会が最終戦となり、型の部優勝者にはボーナスポイントの60ポイントが与えられる事となり、7月大会終了時点で、私が55ポイント、兄が54ポイント、息子が40ポイントとランキング1~3位につける丹後組は、ポーズでも喰らわん限り私か兄がチャンピオンと思っていたところ・・・
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そのまさかのポーズで3人玉砕・・・(ToT)/~~~
姫路の伏兵「佳サ」さんが優勝をを飾り、見事に初代型の部王者となり、私は狙ってもいなかった数の部で、なんと福岡のかっぱ@すっぽんさんを抑えて王者となりました^_^;
同年は福岡のかっぱさんの門弟の人たちの参加が多く、九州勢が増加した年でもありました。

                              2005年
息子が進学で関西を離れたため、丹後組は私と兄の2名だけになりましたが、この年の私は正に絶好調でした。
5.6.7.8月大会の型の部を4連勝し、11月のプレーオフ戦のみ兄に1位の座を譲ったものの、2位の兄に大差をつけての型の部王座獲得となりました。
3位にはやっちゃんの師匠で同年より参加ののぐちゃんが入り、氏は数の部でも2位を獲得し、新人王にも輝きました。
鳥取県から参加のドルキューさんや愛知のたぬきさんなど、現在のうな研でも活躍するメンバーが多く登場したのもこの年でした。
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数の部ではGUUさんが本来の力を発揮し見事に王座を獲得しました。
この年は試合時間が24時間であり、穴釣りも認められていたので、参加者の中には、明るいうちは穴釣り、日が暮れると竿にスイッチといったスタイルも見られた。

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9月上旬に2回目となる全国オフ会が福岡で開催され、25名の参加者で盛り上がりました。
このように顔を合せ、一緒に飯を食い酒を酌み交わすことで、信頼関係がより強くなり、フェアな精神によって大会の運営が維持されるわけです。

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この年の9月、シリーズ戦とは別に開催されたワンマッチのフリー大会、夏休みで帰郷していた息子が優勝、兄・私と続き、2度目となる1.2.3フィニッシュを達成しました。

                               2006年
私にとっては正に地獄を味わったシーズンでした。
この年は5.6.7.8..9.10月の6戦に加え、11月のプレーオフ終戦までの計7戦と、最長のシーズンでした。
型の部連覇を目指してスタートを切ったものの、大会時になると釣れないといった泥沼状態に陥り、5月大会から9月大会までの5戦でまさかのノーポイント、10月大会と最終戦でようやく2連勝して、最終戦のボーナスポイントにも助けられ、年間ランキングはどうにか3位につけることが出来ました。
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この年は予測通り、鳥取の一匹狼のドルキューさんや、京都のミッドナイトスナイパーのリアリさんの活躍が素晴らしく、また、関西の牙城であった「型の部」において、6月に神奈川のさがみっこさん、8月に東京のうな新さんが優勝し、優勝旗が初めて箱根を越えた年でもありました。
我が丹後組には新たにフーチンさんが加わり、初出場の5月大会でいきなり1メートルを叩きだし優勝、衝撃のデビューを飾るとともに、同年の型・数両部門の新人王を獲得してくれたことは実に嬉しい思い出です。
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この1メートル鰻は現在長崎県諫早市のムツゴロウ水族館http://www.kantakunosato.co.jp/map/suizokukan/index.htmにて余生を送っております。

                               2007年
この年は5.6.7.9月の4戦で開催され、正に新旧入り乱れての混戦。
型・数両部門とも毎回勝者が変わるといった熾烈なシーズンでした。
5月大会型の部では岐阜の施設長さん、9月大会数の部では兵庫のうなぼうずさんはじめ、ジョコさんやレプトさんといった新人の活躍が目立ちました。
個人的に特に忘れられないのが9月大会で、3度目となる1.2.3フニッシュを狙って出撃。
しかしその日は日没直後に私に90クラスを含む3本がが釣れたものの、何故か兄とフーチンさんの竿の鈴はまったく鳴らず、時間だけが過ぎていきます。
そこへ他のメンバーからメールで最新情報が飛び込んできます。
「兵庫のうなぼうずとかいう新人が80cmを釣ったらしい\(◎o◎)/!」
「なっ、なにいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~~~~~~~~~~~~~~~\(◎o◎)/!」

「う、う、うなぼうずぅ~・・・・ こ、こしゃくな~ どんな奴や? どうせろくでもないやつやろ」

80cmならば私の順位には影響はないものの、よしんばこの後兄とフーチンさんが70cm台を釣ったとしても、丹後組の間にどこの馬の骨とも知れん輩が食い込むのは許せん!
事の次第を兄とフーチンさんに伝え、思い切って場所を移動し、「丹後組の名誉にかけて夜明けまでに80cm以上を釣らんかいっ!」と激を飛ばしました。
それが功を奏したのか、深夜になってようやく潮が動き始めたころに、兄とフーチンさんの竿に立て続けに大型が3本ずつヽ(^o^)丿
現場での簡易計測でも二人とも確実に85cm以上はあり、帰りの車中は正にお祭り騒ぎヽ(^o^)丿
「が~はっはっはっ 今ごろうなぼうずとかいう奴は優勝を確信して惰眠をむさぼっとるでヽ(^o^)丿」
「明日の朝、うな輪の掲示板をみて腰ぬかっしょんでヽ(^o^)丿」
「ざま~みさらせっちゅうねん!が~はっはっはっ ヽ(^o^)丿」
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ヽ(^o^)丿
狙い通り丹後組3度目となる1.2.3独占となり、年間ランキングも型の部では私が2年ぶり3度目となる王者、2位に新人のレプトさん、3位にふ~さん。
数の部はふ~さんが王者、2位にうな新さん、3位にたぬきさんとなりました。

この年の忘れられないニュースといえば、同年秋より関西赴任となったドルキューさんが丹後組にワラジを脱ぐことになりました。


                                2008年
この年は5.6.7月の3大会に、初の団体戦を加えた形で開催されました。
私は諸般の事情により月大会への出場をひかえ、兄とフーチンさんのサポート役に徹することに。
新人のしんさんやフィッシャーマンさんや花武さんの活躍が目立つ一方で、中堅として実力をつけてきたレプトさんや施設長さんの活躍が注目を集め、終わってみれば型の部は王者レプト、2位しん、3位施設長。
数の部は王者しん、2位施設長、3位うな新といったリザルトとなりました。

強く記憶に残っているのが、浪花の春団治こと花武さんが、地獄の31連続ポーズから見事に這い上がり、7月大会の型の部を制したことです。
関西在住のメンバーは我がことのように喜び、祝賀会を開催したのも懐かしい思い出です。
あと、女性には最も不似合いなカテゴリーの鰻釣りに、うなぼうずさんの弟子のひとみちゃんが登場したのも驚きでしたが、その後の活躍を見る限り、単なるお遊び感覚で無かったことは現うな研メンバーすべてが認めるところとなります。

同時期より後述のteamICUと丹後組の夜な夜なのコラボ釣行が日常化し、相乗効果で関西勢のビョーキ度は治療不可能なほどに進行しました・・・(ToT)/~~~

8月時点で既に休止が決定していたうな輪ですが、最後の、そして最大のイベントとして初の「団体戦」が全7チームの参加によって開催されました。
前述のうなぼうずさんは、前年の9月大会がよほど悔しかったのか、同じ関西在住のジョコさんと花武さんを言葉巧みに抱き込み、「打倒丹後組」の野望を胸にに「teamICU」を結成します。
さらに岡山の名手である幸陽丸さんを助っ人として招聘。
これが功を奏し、うなぼうずさんのその野望は見事に成就され、終わってみればteamICUの優勝で団体戦は幕を閉じました。
http://unawa.com/turi-taikai/taikai2008/1dantai-taikai/2008.823.923.html←成績表

この大会をもって、うな輪はその一定の役割を終え休止することとなりますが、うな輪が8年間に渡って培ってきた精神や大会の基本形はそのままに、より時代や状況にマッチしたサイトを目指して2009年2月に開設される「うな研」に引き継がれることとなります。

次回は。大会10年回想録後編、うな研時代」です。