昭和のカレーライス

先日から無性に「昭和のカレーライス」が食べたかった。
厳選されたスパイスやトッピングに凝った現代の「カレー」でもなければ、本場インドやネパールの「カリー」でもなく、野菜がゴロゴロと入った昭和の懐かしいスタイル、それも家庭のカレーライスが食べたかった。
家内にそれを伝えると、少し不思議そうな顔をしながらも、ほぼ私の希望通りのものを作ってくれた。
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使用したのは終戦直後に発売された『オリエンタル即席カレー』  帝国海軍のカレーをベースにしているようです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB_%28%E9%A3%9F%E5%93%81%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%29
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出来上がり前に味見をしてみたところ、さすがに私の舌には甘すぎたので、少しだけ辛さを足しましたが、昭和を思い出させてくれる懐かしい味で、「たまにはこんなんもええな~」と私も家内もお代わりをしました。

実は、この手のカレーには忘れられない思い出がありまして・・・
事の起こりは今を去ること35年前、昭和51年の春、私が19歳のころの話です。
私は友人と二人で九州・沖縄方面へツーリングに出かけました。
期間もルートも未定のバイクでの放浪の旅・・・
鹿児島からフェリーで沖縄へ渡る途中、母の郷里の奄美大島へ立ち寄った際、そこで地元のバイクグループと仲良くなり、一緒に走ったり家に泊めてもらったりと実に世話になりました。
グループのリーダーは私と年齢も乗ってるバイクも一緒。
しかし彼は既に結婚してて綺麗な奥さんがいました。
その若い夫婦は、お金も無いのに精一杯のもてなしをしてくれ、夕食には肉の代わりに竹輪の入ったカレーを腹いっぱい食わせてくれ、その上沖縄へ渡るフェリーの中で喰う弁当まで持たせてくれました。

沖縄でしばらく過ごした後、私たちは再び鹿児島行きの船に乗りました。
途中、船は奄美大島を経由するんですが、入港した際になんとなくデッキに上がった私の目に飛び込んできたのは、岸壁に立つ彼らの姿でした!
なんと!彼らは沖縄からの船が入るたびに港に集まって、私たちがが乗っていないか見に来てたらしいのです!
そしてその時も弁当とお菓子を手渡してくれました。
いったい何度弁当を無駄にさせてしもたんやろ・・・
船が港を離れるときは紙テープで見送ってくれました。
テープを何本も繋いで最後の最後まで手を振って見送ってくれました・・・
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大阪へ戻ったら手紙とともに、なにかお礼の品でも送るつもりで住所をメモしておいたのですが・・・
しかしっ・・・!
そのメモを財布ごと鹿児島で落としてしもた・・・
当時は今とは違いネットもケータイも無いので彼らを探すのは困難やったし、私も若くて「ま、しゃあないな・・・」ぐらいにしか考えてなかった。
しかし、歳をとるにつれ彼らに対する不義理が気になるようになり、5年前、30年ぶりに奄美大島へ行った時に親戚の娘の旦那に当時の写真を渡して彼らの捜索を依頼しました。

そして1年ほどが経過したころ、「見つかりましたっ!」ちゅうて連絡が入ったのです。
地元のフリーペーパーに「尋ね人」の広告で写真を載せたらリーダーの弟からすぐに「写真に写ってるのは私です」と連絡が入ったらしい。

私はすぐに電話を入れ、30数年前のお礼を言い、不義理を詫びました。
先方もとても喜んでくれ、懐かしさとお互いの32年間の積もる話で盛り上がった。
その弟は現在は奄美市バイク屋を経営、リーダーは現在は鹿児島に在住、今もバイクに乗ってるとのこと。
しかし時の流れの中には悲しい現実もあった・・・ 私と同行していた友人はこのツーリングの4年後に事故で他界、そして彼らの中の一人も・・・

あの時、大鍋にいっぱい作ってくれた竹輪入りの黄色いカレー。
若さと空腹と仲間たちの笑顔が最高のスパイスでした。
来年にはなんとか時間をとって彼らに会いに行こう。
もちろんバイクで…


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