人の縁

先日のことですが、私の8年ほど前の過去記事
にカナダ在住の女性から以下のようなコメントがありました。

「はじめまして。
1980年代に鈴鹿8耐などで活躍された喜多祥介さんのことについてお伺いしたいことがいます。
当方、喜多さんがオートバイレーサーになる前に働いていた大阪の運送会社の社長の娘です。
喜多さんが1983年に鈴鹿8耐で4位入賞された際に新聞紙にくるまったトロフィーをうちの両親に下さいました。
30年以上経ってしまいましたが奥様かご家族にお返しした方が良いと思うのですが連絡先がわかりません。
もし、連絡先などご存知でしたらこちらの連絡先をお知らせします。宜しくお願いします。」

喜多選手はこの8耐カワサキの社内チームで、以降はヨシムラやRTKに所属して活躍されましたが、数年後に事故でこの世を去られます。
私は喜多選手とは直接知り合いではなかったのですが、レース関係の友人や知人には喜多選手と関わりのあった人も多いので、連絡を取ってみました。
イメージ 1
画像は1983年鈴鹿8時間耐久の喜多選手です。

私自身が持ってるチャンネルは六つほど、ヨシムラ関係やカワサキ関係、他にレジェンドライダー系など、思い当たるところに片っ端から連絡をし、さらにそこから何本も枝分かれして、多くの人が情報を探してくれましたが判りません。
やはりご本人が亡くなり、30年以上も経過しているので、時間の壁を感じます。
私は自分のFBにも情報提供のお願いを記事にしました。
すると・・・ なんと、それを見た家内のかつてのママ友から連絡がありました。
なんでも、友達の友達が喜多選手の弟さんと友達らしく、すぐに弟さんと連絡がつきました。

結論的にはトロフィーはそのままカナダで大事に保存していただくこととなりました。
83年の8耐4位は、日本人最上位の実に輝かしい記録です。
カナダから私に届いたメールには

「お兄様から頂いたトロフィーは決して粗末に扱わず、これから喜多さんの写真や記事と一緒に私の子供たちや若い子達に夢を追いかけることの大切さや辛さを語り継がせて頂きます。」

と、弟さんへの伝言文が添えられていました。
以上が今回のトロフィーに関する顛末ですが、一連の動きの中で、人の縁や繋がりの不思議さには驚かされました。
このカナダ在住の女性のお父様は、私が前職の駆け出しの頃、そう40年ほど前に数回面識が有った方で、お父様も私のことを覚えておられました。
そして、多くの関係者がそれぞれ思い当たる人に連絡をとったため、最終的には100を超えるチャンネルになって、あちらこちらで疎遠になってた者同士の距離が縮まりました。
私自身も久しぶりに何人もの昔の仲間や関係者と話す機会に恵まれ、お互いの近況報告や思い出話で盛り上がり、何人かとは近いうちに会う約束もしました。
家内のママ友も、かなり疎遠になっていたのですが、近いうちに静岡に遊びに来る話がまとまり、家内も大喜びです。(^O^)
36年前のトロフィーが海を渡り、それがきっかけであの時代にサーキットで情熱を燃やした者同士が旧交を暖めることが出来ました。
これはひょっとすると、喜多選手からの皆へのプレゼントだったのかもしれません。

追記*喜多選手の弟さんからカナダの女性宛てのメッセージが届きましたので追記します。

〇〇 様
素敵なメッセージをありがとうございました。
過去、確かに存在した大きな悲しみや、救いようのない無力感も、時空を隔てた人の心によって、純然たる懐かしさや愛おしさへと昇華し得る事を感じています。
関係してくださった全ての皆さまに感謝します。
喜多〇〇
イメージ 2
カナダからトロフィーの画像が届きましたので、添付します。
鹿の首に鈴で「鈴鹿」 私もこのデザインの物を何本か持っていますが、何十年も押入れの中にしまったままですね。^^;