1.17神戸2017

22年前の1月17日、熟睡していた私は、家内の叫び声と激しい揺れで目覚めました。
当時の仕事の関係上、同日の昼ごろには神戸の中心部にバイクで入り、現実とは思えぬような光景を目の当たりにしました。
さぁ、ここからの半年が公私ともに凄まじかったわけですが、22年の歳月が流れた今になって思うと、あの震災は私の後半の人生の出発点、いや、折り返し地点やったんかもしれません。
んで、今年も「1.17の集い」に参加するため神戸へ行ってきました。
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神戸市役所南隣の東遊園地が会場で、「光 1.17」の文字が闇を照らします。

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地震発生の5時46分に黙とうを捧げます。

この「1.17の集い」とは別に、あの震災に関連した催しとして12月に開催される「神戸ルミナリエ」があります。
震災が起きた1995年の12月に「復興と鎮魂」の思いを込めて初開催されました。
まだ瓦礫が残る旧居留地、闇の中に灯った灯りが、心に染み入るように感じたことを今も覚えています。
この年の来場者数は予想の3倍の250万人ほどで、その後は年々増え続けて、ピークが10回目となる2004年の538万人。
その後は減少傾向に転じたものの、350万人前後で推移しています。
運営費は地元協賛企業の寄付金などで賄われていますが、資金不足で毎年開催が危ぶまれるも、昨年で22回目の開催となりました。
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会場では一人100円募金として、募金箱を持ったボランティアが多く立っていますが、昨年を例にとると、来場者は325万3千人。
集まった募金は4千2百38万円。
一人が100円入れたら3億2千5百30万円になるはずなんですが、大半の来場者が「タダ見」しているのが判ります。
これをどう見るべきか・・・
募金の趣旨としては、次回開催の為なのですが、そもそもルミナリエそのものの趣旨が来場者に伝わっているのか?
22年という歳月の中で、単なるイルミネーションイベントになってしまっているのなら、ルミナリエはその役割を終えているのかもしれない。


当初は神戸市民や近隣の来場者が多かったものの、いつの頃からか観光バスで乗り付ける団体客も増え、近年は中国人の団体も多くみられます。
このような来場者、特に中国人にとっては単なる観光の一部なんで、彼らがルミナリエの趣旨を理解して募金するとも思えません。
それと、気になるのが「開催利権」です。
毎年赤字のイベントなんで、儲けは無いかもしらんけど、運営委員会に神戸市職員の天下りや、その他の魑魅魍魎がいてるんやないかと疑ってしまうわけですわ。
こう考えると、第10回ぐらいで最後にしといたほうが、純粋さを失わず、また、神戸市民や被災者にとっても美しい思い出として残ったかもしれません。
どんなものでも、時間の経過とともに変質したり劣化したりするのは世の常ですが、「ルミナリエよ、お前もか!」っちゅう感じです。
ま、私自身は自分の心の問題として、期間中にあの場所を訪れるのを重視してるし、1.17の集いも極力参加するようにしてます。
22年はあっちゅう間でしたが、その間に東北や熊本を大地震が襲い、阪神淡路は世間では記憶の彼方になりつつあります。