右にちょびっとだけの脳みそで考えてみた②

ー極限状態ー
皆さんはこれまでの人生の中で「極限状態」にその身を置いたことがあるでしょうか?
体力的限界、精神的限界、あるいは両方を同時に味わった経験は?
もちろんこれらは個人差があり、その限界は人それぞれです。
私は過去にオーストラリアの砂漠を10日間かけて6.500キロを走破するラリーに三度出たのですが、これがなかなか過酷なラリーで、人によっては錯乱状態に陥って、砂漠の真ん中で「もう日本へ帰る、飛行場はどこだっ!」と泣き叫んだり、あるいはバイクをほったらかして夢遊病者のように彷徨ったり・・・
これらは極端な例としても、スタートから数日が経過したころには、疲れや睡眠不足、不慣れな気候から精神的なバランスが崩れるのか、チーム内でエゴが出て、メンバー同士が殴り合ったり罵り合ったりで、崩壊するチームを何度か見ました。
幸い私のチームではそこまでのことは無かったものの、夜まだキャンプ地に到着していない自チームのライダーをほっぼらかして先にテントに入って寝てるメカニックを、テントごとガソリンをかけて燃やしてやろうかというほど激怒したことがありました。
その時にチームリーダーから「これが彼の限界だ。どうか抑えてくれ」と窘められたのですが、後々よく考えてみると、私自身がその時に限界に達して冷静さを失くしていたことに気づくことになり、己の未熟さに恥じ入った思い出があります。
確かに過酷なラリーであり、毎年死亡者が出るほど危険も伴うのですが、それでも戦争ほど命の危険があるわけではなく、自分で走るのをやめたらその時点で生命は保障されるし、まして他人から命を狙われてるわけでもありません。
キャンプ地に辿り着きさえすれば、温かい食事と寝袋が待ってるし、たったの10日間で終わるわけです。
まして、徴兵で駆り出されたわけではなく、自分の意思でエントリーフィーを払って参加しているのですから、やめようと思えばいつでもやめることが出来ます。

対して戦争はどうでしょうか?
比較することすら無意味なほど、過酷で無慈悲で凄惨なものです。
概ね自分の意思ではない経緯によって、殺すか殺されるかの状況の中に長期間にわたってその身を置き、四六時中死の恐怖と戦い、飢えや乾き、灼熱地獄や酷寒地獄、さらに病気とも戦わなくてはなりません。
このような状況下において、人間が人間らしさを維持し続けるのは並大抵のことではないと思うのです。

戦地での残虐な話は山のようにあります。
敵兵だけでなく、一般住民に対す虐殺や暴行強姦略奪などてんこもりあります。
それは大東亜戦争時の日本軍も中国共産党軍も国民党軍もアメリカ軍もソ連軍もオーストラリア軍も、またベトナム戦争時の韓国軍や、湾岸戦争やイランイラク戦争など、戦争や紛争と名のつくものにはこの手の話はつきものです。

これらは原則的には戦争犯罪であり、また、軍規違反でもあり、裁かれるべき行為であるはずなのですが、混乱の極みの中で起こった事ゆえ、その多くが時の流れの中に埋没しており、時を経て出てくる被害者や目撃者の証言や証拠写真も、
政治利用をはじめとした思惑や利害関係が複雑に絡み、その真偽が定かでないものも多いため、いつまでたっても解決や和解には至りません。
その一例が中国南京市にある「南京大虐殺記念館http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E7%B4%80%E5%BF%B5%E9%A4%A8」の展示物や展示写真です。

ネット上や出版物には、戦場での多くの残虐な話が溢れておりまして、沖縄戦に限っても、日本兵が島民に暴力や強姦をはたらいたとか、米兵が無抵抗の島民にガソリンをかけて、火だるまで逃げるその背後から銃で撃ったとか、島民の少女を強姦した後に射殺したとか・・・
そんな話はきりがないほど出てきます。

さて、こんなことは本当にあったのか・・・?
こんなこと書くと、「誇り高き日本軍人が自国民にそんなことするわけない」とか「博愛主義の国のアメリカが
そんなことするわけない」との意見もあるでしょうし、または「日本兵は悪かったからきっとしただろう」とか「米兵は鬼畜やから当然やったやろ」とかの意見もあるでしょう。
私の右にちょびっとだけの脳みそで考えてみました・・・
結論としては・・・ ずばりあったと思います。
それは決して日本軍も米軍も、正規の作戦行動や命令ではなく、あくまで一個人もしくは数名が、極限状況の中の異常な精神状態によって行った行為やと思います。

これらのことは決して許されるべきことではなく、国際法上も人道上も言語道断となるのは当然です。
しかしなぜこのようなことが起こるのか・・・?
つまり、これこそが「戦争の狂気」そのものやと思うのです。
恐らく、これらの行為を行った兵士も、平時には「極普通の人」であったはずです。
日本軍は当時世界の軍隊の中でも特に軍規が厳しく、強姦などで銃殺になった例もあったそうです。
もう一つ考えられるのが、徴兵制によって召集された兵士は、徴兵検査によって体格や適性で配属が決定するので、人格や元々の娑婆での職業はまちまちで、中にはチンピラやそれに類する者も当然いるはずです。
自ら志願して兵学校や士官学校に入った職業軍人とは異なる部分があって当然です。
人間は極限状態におかれた時、その人が本来持っている最も優れた部分が出る人と、悪い部分が出る人がいるものです。
それは上記のラリーで私も見てきましたし体験もしました。
それとは比較にならない過酷な戦地において、「平時の自分」を保つことがどれほど難しいか・・・

誤解を恐れずに書けば、人間は命の危険が迫れば、遺伝子を残そうとする生物本来の本能から異常なほど性欲が高まります。
これはレースが近づいたレーサーにもその症状は顕著に現れます。

そのことを考えれば、弾の飛んでこない今の日本で、てめえは安全にどっぷり浸かりながら「日本兵の蛮行、日本軍の非道」を
文化人面して糾弾するのは実に簡単です。
「左にちょびっとだけの脳みそ」の勢力は、これらのことを体制批判や戦前戦中の日本を糾弾する材料として用います。
しかし、自分がそのような明日をも知れぬ極限状態におかれた時、決してそのようなことはしないと断言できるのか、出来ると言うならその根拠は・・・?
もちろん、この「戦争の狂気」の被害者になられた方は本当に気の毒やし、こんなことはあってはならんと思う。
しかし、これが戦争の一面であるという現実を冷静に受け止め、このようなことが再び起こらぬよう努めるのが大事やと思うのです。