COWRA 70年


豪「カウラ事件」から70年、元日本兵も式典出席

シドニー西方300キロほどにある田舎町のカウラ。
大東亜戦争中、ここには日本兵の捕虜収容所があり、1944年8月5日にここで集団脱走事件が起きました。
いわゆる「カウラ事件」です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

以前私もオーストラリアのレース前にチームメイトと慰霊に訪れました。
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日本から「六甲のおいしい水」と「南アルプスの天然水」を持ち込み慰霊碑に捧げ、僧侶でもあるチームメンバーがお経をあげ、異郷の地で倒れた多くの兵士の御冥福を祈りました。

この「カウラ事件」は日本ではあまり知られていませんが、彼の地オーストラリアでは「俎上の鯉」として小説化され、連続テレビドラマとしても高視聴率を獲得しました。

オーストラリアのような隔絶された大陸で、脱走などしてもどこに逃げられるわけでもないのに、なんでまた脱走したんや?
聞けば収容所の待遇はかなり良かったと聞く・・・
やはりそこには旧帝国陸軍の「戦陣訓」が強く影響してたんやろな・・・
「生きて虜囚の辱めをうけず」
つまり彼らは逃げるための脱走ではなく、「死ぬ」ために脱走をしたということか。
今の平和ボケした日本に暮らす我々が、戦陣訓やまたそれを重んじた彼らの心情の是非を軽々しく論ずることは慎むべきで、そのような歴史事実があったということを胸に刻むことが大事と思うんやが・・・ どないでしょ?