天皇陛下の靖国参拝

脚本家の井沢 満氏のブログの3月17日の記事より転載です。
井沢氏にご承諾いただきましたので、今後は折に触れ、氏の記事をアップさせていただきます。


天皇陛下の靖国参拝

朝食を摂りに外出したら、のぼり立ての太陽が黄金だった。
車道の街路樹脇には、季節の椿が咲き開き、驚いたことには小さな樹ながら
桜が満開で、双方好きな花なので心が浮き立った。
靖国神社さんの「みたままつり」に掲げる灯籠に下手な揮毫をするようになって
今年で3年目だが、またそのための和紙が送られて来て、いつまでも
持っていると気が重いので、今年はさっさと書いて送り返させて頂いた。
靖国問題の成り立ちは極めてシンプルで、単に政治的恫喝・取引きカードとして
中韓が切って来ているだけであり、そもそも「靖国問題」じたいが、
以前は存在してはいなかった。朝日新聞がそれを書き立てるまでは。
靖国参拝が問題視される理由はA級戦犯が祀られているから、とそれも
こじつけの「口実」に過ぎない。
東京裁判自体が事後法に基づくもので、A級戦犯を裁く根拠となった
「平和への罪」などというものは、裁判を開くに当たって、慌ただしく
でっち上げられた罪名であり、国際法上は無効であり、また
国内法では無罪ということでもう決着している。よく言われるが、
"Judgements”、という複数形、つまり「判決」それぞれは敗戦国としての
余儀なさで受諾はしたが、裁判の過程や裁判の示した歴史観まで全て受け入れたわけではない。
しょせん戦勝国側に都合のいい犯人でっち上げ裁判であり、いみじくも原爆投下のアメリカ人が述懐したごとく、「日本が勝っていたら、私が戦犯になっていた」。
A級戦犯が祀られていることがおおやけになってからも、歴代首相は
ずっと参拝はしているが、中国も韓国も何もこの間言ってはいない。
この事実を腹に据え憶えておいていただきたい。
A級戦犯合祀がおおやけにされたのは、1979年4月。
それから1985年7月まで、大平正芳鈴木善幸中曽根康弘が首相就任中に
計21回参拝をしている。
この6年間、中国韓国共に、いっさい異議なし。
それが朝日新聞がいわゆる「靖国問題」として、報道した途端食いついたのが中国で、報道の1週間後には、史上初の靖国参拝への公式非難が表明されている。
要するに他ならぬ日本の新聞が付け火をしたところへ、素早くガソリンを撒いて大火事にしたのが中国である。韓国が便乗してその後に続いた。
ちなみに捏造従軍慰安婦に付け火したのも、朝日新聞である。
吉田清治という国籍も疑われている“日本人”がカネと名声欲しさに
「強制連行した慰安婦」というフィクション(「小説」)を書き、それがノンフィクションとして
売り出され、最初は穏やかだった話が、吉田があちこちで呼ばれ講演するにつれ
脚色がより「効果的に」施され、悲惨な話へと過激に仕立てられて
詐欺師がすった一本のマッチの火が燎原の火となって燃え広がって現在に至る。
元は根拠もないマッチ一本なのである。
すられたマッチに飛びついたのが朝日新聞であり、現代で言えば例の作曲詐欺師のごとき
吉田の「フィクション」を事実として報道し、それが瞬く間に韓国と中国に悪用されて
燃え広がり、現在に至るわけである。
A級戦犯じたいが、いいかげんな存在であるにもかかわらず、天皇陛下が参拝されないのはA級戦犯が合祀されているからだという説があるが、これはない。
なぜなら、私も現場に居合わせたことがあるが、靖国神社の春秋の例大祭には
天皇陛下からの勅使が古代の装束に威儀を糺して訪れ、供物をご名代として
祭神と英霊とに捧げられるのである。
うやうやしく捧げられる対象には、むろんA級戦犯と、実質のないラベリングをされた方々も
含まれている。
少なくとも、日本人はA級と名指しされた人たちの、生前の人となり、教養のほどを
調べてみるがいい。犯罪者と呼ぶにはばかる、立派な人格の方たちである。
またまた余談に逸れるが、都知事選の際に「朝まで生テレビ!」に出演された時の
田母神氏の、「武器としての言葉」の乏しさに私は触れたことがあるが、
田原総一朗氏に舌鋒鋭く、天皇参拝が叶わぬのは、A級戦犯ゆえだ、と
突っ込まれ、言葉を返せなかったことに、私はもどかしい思いをしたのだが、
田母神氏に知識が欠落していたわけではなく、ディベートに不慣れであり、
マスコミ用必殺技を仕掛ける田原氏のごとき言語の刃に不慣れでいらしたのであろう。
今後も政治に携わられるなら、武器としての言語の磨きと、理論武装を常々なさるよう
再度忠告申しあげたい。
それと事前調査。調査するまでもなく、田原総一朗という論客がいかなる理論を
振りかざして斬りつけてくるか事前に読むのはさほど難しいことではなく、
それに対して斬り返す言葉を匕首(あいくち)として懐に前もって忍ばせておけばよいだけのことである。
慣れればとっさに切り返せるのだけど。
田母神氏は、独演で語られる時は流暢であるのだが、とりわけある意図を帯びて
斬りかかる田原氏のごとき刺客には弱い。
この点、櫻井よしこ氏は手練(てだれ)であり、テレビ番組で田原総一朗氏が同じ
論法で斬りかかったのを、優雅な微笑ですんなり切り返して鮮やかであった。
挙措は楚々と優美で、しかし舌鋒は刃物の切れ味で、こういう論客がいることを
日本のために寿ぎたい。世界にも櫻井さんのような華やかにはんなりとした論客はいらっしゃらない。
櫻井氏は、昭和天皇靖国参拝中止を、国会で憲法論議に持っていかれた
せいにされていて、これが根本原因だが、中韓の過激な反応以降は、御自らの参拝が政治外交利用されることをお避けになられた、と思っている。
そして元宮内庁長官・ 富田朝彦がつけていたとされるいわゆる「富田メモ」に対しても、私は櫻井氏と同じく、信用はしていない。幾つか理由はあるが、明晰な櫻井氏が敢えて持って回った言い方をなさったあることに加えて、これは明確におっしゃっている、昭和天皇
東條英機への親愛の情は自明だからである。
A級戦犯が合祀されたのは1978年。昭和天皇が最後に靖国に行かれたのが1975年。
参拝をなさらぬ理由がA級戦犯合祀ゆえということは、時系列の点からも断言はできない。
合祀分祀というが、騒ぐ割に中韓それから日本の国会議員さえ、その実体を知らぬまま
物を言っている人たちが多いことに、失笑を禁じ得ない。
靖国神社にお祀りされているのは「魂」だけである。魂をどうやって「分ける」のか?
教えて欲しいものである。
おそらく単にイメージとして遺骨や位牌の類を漠然と思っているのだろうが、そんなものは皆無である。神道の儀式に寄って呼び込まれた(招魂された)みたまが、そこにあるだけ。
霊魂など信じてもいない中国が、それゆえに靖国を撃つのは茶番であろう。
日本の唯物主義の人たちも同様である。
あっけないほどの事実であるが、案外誰も知らない。靖国神社に合祀したり、分祀したりと物理的に出来るものはなにもありません。魂という形而上のものをどうやって、分けるのですか? と常に問い返すことはしたほうがいい。
また日本人以外の海外の戦没者の慰霊も行われているのだということも、中韓は、そして日本人すら知らない。この間の安部総理の参拝が大々的に報道された割に、靖国敷地内にある、海外の戦没者のみたまをお祀りした鎮霊社を総理がお参りしたことは報道されない。

また靖国神社にお祀りされているのは、軍人ばかりではない。これも案外知られていない。5万7千余の女性のおみたまも供養されている。従軍看護婦の皆さん、沖縄は「ひめゆり」「白梅」など、女学校舞台の生徒たち。「対馬丸」で沖縄から鹿児島へ疎開中、アメリカの潜水艦に撃沈された小学生たちのみたま。

学徒動員の軍需工場で爆死した生徒たち。1945年、ソ連の侵入を最後まで日本に通信し続け、自決殉職した樺太真岡の女子電話交換手の方たち。
そして日本の、靖国の優しさは人のみの鎮魂にとどまらず、戦地で共に戦った
馬、犬、鳩にまで供養は及ぶ。これも、海外には報道されない。政府は言われるまま
言い返しもしない。イルカ漁をケネディ大使があげつらい、あたかも日本国民が
動物虐待の民であるかのように世界に喧伝された。悲しいことである。
韓国の、犬を撲殺して食べる習慣はよいのか、ケネディ大使よ。
あの戦争の是非はひとまずおいておくとして、日本のため、そこに暮らす父母、きょうだいのため、命を懸け人々の「想い」が祀られているのである。
宗教色のない「施設」に祀れという論も、無意味なのであって祭祀無くしていかに
鎮魂するのか? 祀るという言葉自体が当てはまらないではないか。
靖国で会おうぜ」を合言葉に散っていった人々の想いを無下にしてはならぬ。
一度か二度・・・・・靖国神社の奥まったお部屋でお茶を頂いたことがあるが、
その時伺ったお話。
天皇陛下がいついらしてもいいように、天皇陛下のためのお部屋は常に清掃が
丹念になされているとのこと。お話を伺った瞬間、私はそこに座すべき主を延々と
待ちわびている仄暗い部屋が脳裏に浮かんだのだった。
お椅子や卓はそのつど、皇居より運び込まれるのだという。
皇后陛下から託されたお言葉というのも、その時伺ったのだが
何か私、他に気を取られている時で、失念してしまい残念なことである。
あるいはしっかり聞いていたとしても、ここに記すにははばかることであったかもしれない。
日本が整い穏やかになるのは、おそらく私は天皇陛下靖国神社に参拝なさる
時であろうと、それは理屈でも何でもなく思いなしているのだが、
当面、しかしご参拝は叶わぬと思う。
これも理屈ではなくふと脳裏に揺曳するだけの思念なのだが、
参拝なさる天皇陛下悠仁親王殿下であると、そう思っている。
世が整うのも、この方が無事天皇陛下となられた御代であろうと。