大阪と東京

たかじんが死んでもうたがな・・・・(ToT)/~~~
東京の人はどうかしらんけど、関西人にとっては身内の、それも近しい人が死んだぐらいのショックがあったんとちゃうやろか。
なんとも言えん懐失感を感じるで・・・
あの毒気のあるトークの時のしゃがれた声とは対照的な甘い歌声。
歯に衣着せぬ発言や、みのもんた・古館一郎を嫌いと公言し、読売の記者を引きずり回したり、東京のテレビには一切出ん姿勢を貫き通し、NHKをクソテレビ局呼ばわりし、正に関西人全体の代弁者やった。
ミスター・大阪・・・ 心よりご冥福をお祈りします。
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やしきたかじん 東京(歌詞付き)

さて、今回も「関西目線の民俗学」のテーマです。
関西、中でも大阪から見るとやっぱし東京はいろんな意味で無視できん存在なわけです。
その理由を探ろうと思たら、恐らくこれは徳川家康の時代にまで遡る必要があるんやろけど、そこらへんは私の不勉強もあり、今回ははしょらしてもらいます。

東京とゆうたら、関西人以外の日本人の多くが憧れる花の都です。
そやから日本中から田舎もんがぎょうさん集まってくるんで、いわば最もでかい田舎みたいなもんです。
三代続いて初めて江戸っ子といわれるように、地方から移り住んでも孫・曾孫の代になってやっとこさ江戸っ子と認められるわけです。
私の友人に生粋の江戸っ子がいてるんですが、以前「盆暮れの帰省シーズンに田舎もんが東京からいなくなった時が一番清々する」「帰ってこれないように東北道を爆破してやろうか?」などと、冗談とも本気ともつかんようなことをゆうとりましたが、なるほど・・・ この感覚は大阪にはないもんですわ。
私の大阪時代のスタッフに沖縄出身の女の子がおったんですが、最初は東京へ出たそうです。
ところが、けっこう沖縄であることをネタに苛められたそうなんですが、この苛める相手は江戸っ子やのうて、東北や関東近隣の出身者やったそうです。
それで彼女は大阪に移り住んだんですが、これが東京とは大違いで、すぐに周囲に受け入れられ、現在は大阪で結婚して幸せにやっとります。
ま、これはほんの一例ですんで、全てがこうやとは言い切れませんが。
ただ、三代続いて初めて江戸っ子の東京に比べると大阪は敷居の低さみたいなもんは確実にあると思います。
少なくとも2代目で大阪人、もしくは関西人になれます。 ※京都は除きます。
実際、私自身が自他ともに認めるこってこての関西人ですが、両親は関西生まれではありません。
親が地方出身でも、自身が関西生まれの関西育ちなら資格じゅうぶんなわけです。
関西、中でも大阪、そして隣接する兵庫県尼崎市は地方出身者にとっては実に溶け込みやすい土地柄で、いわばこの地域が巨大な寄せ鍋のように色々な地域の文化や風習を吸収しながら煮えくり返っているのです。
それは日本国内だけに限らず、鶴橋のコリアン市場などからも解るように、在日韓国朝鮮人の人たちが多いことからもその特性が顕著に表れています。

建前よりも本音が先行し、名を捨て実を取る実質主義の大阪対して、東京はと言えば・・・
これはあくまで関西人、特に大阪人が東京に対して抱く古典的なイメージなんですが「ええかっこしぃ」「冷たい」「建前ばっかし」「権威主義」「偉そう」「料理の色が濃い」「蕎麦屋やラーメン屋ごときが偉そうにしてる」「評判の食い物屋に行列を作る」「お笑いが全然おもろない」など、ネガティブなものを並べだすときりがおまへん。
あと、関西から見て気に入らんのが東京キー局の東京中心の番組作りですね。
それからやっぱり阪神と巨人の宿命的な関係でしょうか。

私自身は東京に友達も多く、そのキップの良さやカネ離れの気持ちよさは大いにリスペクトしとります。
あ、お金に関してですが、よく大阪人は「ケチ」とか「がめつい」などと言われますが、これは誤解なんですわ。
大阪人は「死に金」を使わんだけで、出す時にゃ出す。 つまり「活き銭」なら惜しまんわけです。
出すべき時には出す「ケチ」に対して、出すべき時にも出さん奴は「シブチン」と呼ばれとります。

まあ、いろいろ書きましたが、これらの多くは誤解や単なるイメージであったりするんで、このブログを見た東京の人もあんまりムキにならんといてください。ヽ(^o^)丿