スズキGS750と鈴鹿6時間耐久レース

以前の記事に小林の鉄製マフラーhttp://blogs.yahoo.co.jp/kitanotamotu/archive/2010/08/29の記事をアップしたころから訪問者履歴いのまんさんといわれる方がお見えになっていた。
昨夜、氏のブログにお邪魔してみたところ、なんと懐かしいスズキGS750の記事がいっぱいです。
このバイクは私も若かりしころに乗っていまして、つい嬉しくなって記事を深夜まで読んでしまい、今朝はかなり眠い思いをしました。(-_-;)
日本の750ccのバイクはホンダのCB750から始まり、その後はスズキのGT750やカワサキのH2(750SS)の2サイクルがこれに続きましたが、第一次オイルショックなどにより時代は既に4サイクルへと向かっていました。
カワサキのZ2が大人気で、ヤマハも二気筒のTX750を発表、またミドルクラスにも4サイクル化の波が押し寄せる中、唯一4サイクルモデルを持っていなかったスズキが1977年に満を持して世に送り出したのがこのGS750でした。

※本記事は私の度重なる脳震盪によるパンチドランカー的記憶に基づいていますので、多少のええかげんさはご容赦ください。m(__)m

スズキは4サイクル後発メーカーだけに、当時かなりのマージンを見越してのその造り込みは、あのPOP吉村が「Z2は過剰品質だがこいつは超過剰品質だ」と言わしめたほどのものでした。

Z2でぶっ転んで入院していた当時21歳の私も、病院のベッドの上でバイク雑誌を見ながら「次期主力戦闘機」にこいつを選びました。(
Z2は全損(T_T))
購入と同時に改造を始め、当時は身だしなみでもあったヨシムラの集合管はもちろんのこと、同社のハイカムや強化スプリングや850ccキットやらを組み込み、新御堂筋鈴鹿なんかを走り回りました。
で・・・
いのまんさんの記事に懐かしさを覚えて、昔のアルバムを見てみると・・・
1977年の「鈴鹿6時間耐久レース」の写真が出てきたのでアップします。
このレースはオイルショックなどで中断していた鈴鹿の耐久レースが復活した記念すべき大会です。
翌年には8時間となり、あのヨシムラのGS1000がW・クーリー&M・ボールドゥインのライディングでホンダのRCB艦隊をいてこまして優勝した伝説の大会の布石ともなった大会でした。

この年はヨシムラはスイス製のエグリフレームにカワサキZ1のエンジンを搭載した「ヨシムラエグリ」で出場!
ライダーは故・加藤昇平選手、、 ペアは誰やったかな・・・?
№18はTZ350、市販レーサーはおろかファクトリーマシンや市販車まで、排気量も250から1000超まで、要するになんでもありでした。

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このレースの優勝マシン、HRCの前身であるRSC製のホンダCB500改を駆る故・木山賢吾選手
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ヘアピンの進入付近です。
№32の青色GS750は浜松チームタイタンの山名選手か袴田選手やと思う・・・ 間違ってたらごめんなさいm(__)m
№22は月木レーシングから出場の武庫レーシング所属の長谷敏行選手。
ゼッケンの色の違いはレーサークラスとノーマルクラスの違いです。 赤はレーサー、もしくは改造度合いの高いもので、白は限りなくノーマルに近い状態です。

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市販レーサーのTZ350を追い詰めるカワサキZ650ザッパー! たぶん神戸スーパースポーツからのエントリーやったと思います。 いや、浜寺レーシングの徳野選手かな・・・?
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ヘアピン立ち上がり。
№32のGS750、マフラーもノーマルです。
走っててもサーキットでは他のマシンの音にかき消されてほぼ無音状態、ある意味異様なほどの静かさが印象的でした。

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最終コーナー立ち上がり、前から3番目がGS750。
ここでもノーマルクラスは集団で走っててもチェーンの回転する「シャァー」って音しか聞こえません。静か~(^。^)

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で・・・
最後に私のGS750です。
鈴鹿パドックで、練習走行の時かな・・・
たしかこの時、練習が終わってから友人にマシンを預けて一足先に近鉄電車で大阪に帰ったのですが、眠りこけて座席からずり落ちてたみたいで、終点の上本町で車掌も見落としたらしく、気がつけば真っ暗な車庫の中・・・\(◎o◎)/!
ほんまえらい目に遭いました・・・

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