東の旅 其の参

その参です。

中央道を東京方面に走り、本日の第一目的地の神奈川県葉山を目指すのだが、ここで大きく悩むべきことが・・・
実は出発前に複数の関東の友人に「小淵沢→葉山」までの最適ルートを尋ねてみた。
先ずは自称関東人の埼玉県代表オラことやっちゃん(右画像参照)イメージ 1
※画像は肖像権保護の観点から多少の加工を施しています。

やっちゃんによると「中央道から首都高に入って、湾岸線経由で横横道路」とのこと・・・
たしかに大回りではあるが、一般道の渋滞を回避できる。
念のため川崎市在住の友人にも聞いてみると・・・「埼玉ごときの言うこと信じちゃダメですよ~(笑 相模湖で下りてR412で厚木IC経由してください」とのこと・・・
ん・・・? どっちがええんや・・・?
さらに茅ヶ崎に住む家内の友人に聞くと「埼玉や川崎ふぜいの田舎者に何が判る、葉山や湘南方面は私に聞かんかい! 高井戸で下りて環八経由や!」・・・・・・・・・・(-_-;
・・・・・・・
さらにこの茅ヶ崎の友人の旦那がやっちゃんと同じ経路を勧めてきたことによってますますこんがらがってきた・・・・・・(ToT)/~~~
一体全体関東の道路はどないなっとるんじゃいっ!ヽ(*`Д´)ノヽ(*`Д´)ノヽ(*`Д´)ノ

たしかに東京・神奈川周辺の地図を見ても、やたらと高速道路やそれに類するような高規格道路が多いのだが、それらが好き勝手に独立していてどうにもこうにも連絡が悪い。
道路族と土建屋が用地買収の見込みもないまま見切り発車で造りまくったからかな・・・?

結局は悩んだ挙句に八王子で下りて、八王子バイパスからR16経由で相模原→横浜町田横横道路の経路に決定する。
途中でやっちゃんから首都高の道路情報などがメールで届くが、そこは私も同行するチームリーダーもラリーで鍛えた己の勘でルートを決定することにした。
実際にはどれがベストであったのかは定かではないが、相模原辺りでしばらく渋滞にはまるものの、ほぼ予定通りの時間に葉山に到着できた。

で、葉山での目的は何かと言うと・・・
私やリーダーがお世話になったある方のご冥福を祈り、葉山の海に献花するためなのです。
この方は旅行作家や随筆家として度々テレビなどにも登場された茂木ふみか女史です。
英語と独語が堪能で戦時中は大本営の通信部に勤務され、戦後は読売新聞のドイツ通信員としても活躍。
1987年のオーストラリアンサファリの4輪部門にご主人と共に出場されたのを皮切りに、ご主人亡き後も自らハンドルを握り、毎年のようにラリーの取材をされ、また93年にはご自身の病気をおして選手として最後の挑戦もされました。
そしてケープヨークの先の木曜島にある日本人潜水夫の墓地の整備に私財を投じられ、日豪の架け橋になられた方です。
上品で奥ゆかしく謙虚でありながら、芯の強さと大胆さを持ち合わせたその生き方から、私たちのチームメンバーは女史のことを、「砂漠の大和撫子」と呼んでおりました。
イメージ 2

私が最後にお会いしたのが7年前、女史が葉山から茨木の大洋村にお引越しされた頃でした。
ご家族や身寄りの無かった女史の遺灰は、生前こよなく愛した葉山の海と西オーストラリアのピナクルズに親しいご友人達の手によって散骨されました。
2ヶ月前にそのご友人のお一人とようやく連絡が取れ、そこで初めて訃報に接することとなった私たちの今回の旅の最大の目的がこの「献花」なのです。
そのご友人も同行していただけることとなり、厨葉道路を下りた私たちは先ずは指定された葉山のマンションへ・・・
・・・・・・・で、マンションへ到着・・・・ なんか・・・ むっちゃ高級なんですけど・・・・\(◎o◎)/!
一階はホテルのフロントみたいになってて、訪問の趣旨を告げると最初は怪訝な表情で私たちを見ていたフロントのおっさんが「あっ、伺っておりますっ!」と満面の笑みで駐車場に案内してくれた。
う~む・・・・ どうも場違いな場所に来てしもたみたいやな・・・・
ま、うちのリーダーは一見すればざんばら髪の落ち武者みたいなむさ苦しい風貌やからな・・・(-_-;

エレベーターで指定された最上階の部屋へ・・・・
「ぴんぽ~ん♪」・・・ 
「はい」
「あの~大阪のパラマタですが・・・」
「しばらくお待ちください」
ここで先日初めて電話でお話した女史の御友人のYさんが出てこられるはず・・・
電話を切るときに「ごめんあそばせ」という言葉がごく自然に出てくる方で、まず関西には絶対に生息しないタイプの高齢の貴婦人をイメージしていた。
ところが出てきたのは我が家の近所にもいてそうなフツーのおばはん・・・ 
「えっ、この人が?」と思ったら、その後ろにイメージどおりの貴婦人が!
最初のおばはんはお手伝いさんでした・・・\(◎o◎)/!

中に招き入れられ、部屋を取り囲むルーフバルコニーや相模湾を一望できるロケーションにもびっくりしたけど、それ以上に驚いたのが・・・
棚にさりげなく飾られた複数のフォトフレームの中の遺影っぽい写真・・・
私「ん・・・? このお婆さんどっかで見たことあるど・・・ 一緒に黒柳徹子も写ってるがな・・・?」
リーダ「こ、これって昭和の大女優のSさんとちゃうん?」
Yさん「あ、この部屋はSの終の棲家でしたの」
私&リーダー「そ、そ、そやったんでっか・・・\(◎o◎)/!\(◎o◎)/!\(◎o◎)/!」
・・・・・・・
YさんとSさんの関係はここでは割愛するが、なにやらとんでもなくセレブな世界に迷い込んだことは事実。
出てくるコーヒーカップや灰皿までいちいち高級品で、それがまたYさんに極自然に似合ってる・・・・
経済力はともかくとして、技術的に不相応なやっちゃんのリールや竿や一眼レフとは明らかに一線を画している。
私が持参したラリー中の茂木女史の写真や動画を観ながら、しばし思い出話に華を咲かせたあと、近くのマリーナへ移動。
ここは茂木夫妻が愛艇「ジャガランダ」を係留していた場所である。
やっちゃんの第18納豆丸の100倍ほどもある船がたくさん係留されている。

今日は茂木女史の愛したオーストラリアの花を用意してきた。
マリーナの突端から海に献花して、ご冥福を祈る・・・・
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晩年を日本とオーストラリアの民間交流に捧げられた茂木ふみか女史、今頃はきっと天国で最愛のご主人と「Waltzing Matilda」でダンスを踊られていることだろう。

今回の旅の最大の目的を終えた私たちは、Yさんからの夕食へのお誘いを丁重にご辞退し、日没少し前に今回の最終目的地の静岡を目指す。
セレブの方が招待してくれる夕食にも興味しんしんではあったのだが、翌日の仕事や静岡での予定を考えれば時間的にも無理と判断し、再会を約束して葉山を後にする。

葉山→厨子間はデフレスパイラルに喘ぐ我々一般民間人をなめたようなヽ(*`Д´)ノ豪邸の数々を横目で見ながら、江ノ島茅ヶ崎と海沿いの道を走る。
この区間のBGMは家内のリクエストによりサザン・オールスターズである。
しかし海水浴シーズンでもないのに、なんでこんなに道路が混んでるんじゃいっ!ヽ(*`Д´)ノ
予定よりかなり遅れて厚木から東名にのり、19時に静岡着。
目的地はICから5キロほどのところにある「うなうなうなおじさん」のお宅。
イメージ 4おっさんは知る人ぞ知る鰻釣りサイト「のんびり静岡」の管理人である。

おっさんを自宅前でピックアップして近くの中華料理店「四川萌芽」へ。
この店はおっさんちの近くにあるとは思えんほど何を食っても美味い!
全ての料理にいえることなのだが、素材への火の入れ方が絶妙で、野菜のシャキシャキ感が素晴らしい。
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http://suzy1961.blog21.fc2.com/blog-entry-145.html
中でも秀逸なのが肉団子の唐揚げ、外はカリッとしていて、噛めば中はふんわり、肉汁が溢れてくる♪
数時間前、場違いな世界に足を踏み入れ、少々肩が凝っていた私たちであったが、高尚やインテリジェンスとは対極にあるおっさんのお陰で、肩どころか全身が液化するほど解きほぐされる・・・
やや遅れておっさんの奥さんと息子さん夫婦も合流し賑やかな宴となった。
たらふく食った後、おっさんに頼んでおいた「マルカイの釜揚げシラス」を受け取る。
このシラスは私の知る限り日本一である。
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茹で加減や塩加減が最高で、ツルツルプリプリの食感は病み付きになる。
炊き立てのご飯に載せて食すれば、まるで高校時代に戻ったかのような勢いで食欲が沸きあがり、どんぶり鉢で三杯は食えます♪
興味のある方は→http://www12.ocn.ne.jp/~marukai/

おっさんご家族に見送られ静岡を後にした私たちは東名→新名神と乗り継ぎ西へとひた走る。
家内の大好物の「うなぎパイ」を買うために浜名湖で一度止まっただけで一気に西宮まで。
リーダーを自宅に送り届け、その足でteamICUリーダーのうなぼうずさん宅へ。
ここで頼まれていた釜揚げシラスを渡し、うなぼうずさん特製の「クリスマス・シュトレン」を受け取る。
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この「クリスマス・シュトレン」に関しては彼のブログに詳しく製作過程が紹介されているので興味のある方は→http://blogs.yahoo.co.jp/unabozu/
むっちゃ手間がかかってるみたいで、こんなものを作ってくれたうなぼうずさんには感謝感激である。
しかし彼の料理の腕前にはいつもながら感心させられる。
私もある程度料理はするが、彼はお菓子作りにも長けているのである。
釣りの腕前ももちろんやっちゃんより上、料理に関してはうな研トップであろう・・・
一週間ほど熟成させてから食べたほうが良いとのことなので、すぐにでも食べたい気持ちをぐっと抑えてクリスマスイブ前日まで我慢している・・・

うなぼうずさん宅から我が家までは20分ほどで到着。
2日間で1200キロの走行、目的地は4箇所、そのうち2箇所が弔問の旅でした。
いささか駆け足の旅になりましたが、なんとか年内に訪ねることが出来て気持ちにも区切りがつきました。
今年の一年を漢字で表すとしたら・・・・ 私の場合は「訃」でしょうか・・・?
ま、私自身がそれなりの年齢になってきたこともあるのでしょうが、今年はやたらと喪中欠礼の葉書も多く、中には私よりも若い人も含まれており、ほんと思いもかけぬ人が多く亡くなってしまいました。
永遠の別れっちゅうのはほんま寂しいもんです。

お~い、やっちゃ~ん! 君もかわいい子供と綺麗な奥さんのためにも酒の量をちぃっと減らせよ~(^。^)