対米戦争はいつ始まったのか?

《対米戦争はいつ始まったのか?》
先の大戦、全体を指して「第二次世界大戦」と呼ぶのは良いが、日本との関わりで論じる時、「太平洋戦争」と言うのは間違いである。正式には「大東亜戦争」と呼ぶ。内容的には「対米戦争」と言ってもいいくらいだ。
戦後70年間、日本人は「嘘」の歴史を教えられてきた。真珠湾攻撃を以ってスニーク アタック Sneak Attack と呼ぶのは、その名の通り騙し討ちという事だが、正しく歴史を顧みると、決して騙し討ちなどではない事が分かる。
そもそも国際法では、事前に「宣戦布告」しなければならないなどとは定められていない。米国がハワイ王国を侵略する時に「宣戦布告」をしただろうか。海兵隊をいきなり上陸させて武力制圧したではないか。

フィリピンを植民地にした時は、もっと卑怯だった。
フィリピン諸島は16世紀以来スペインに植民地化されていたが、米国はアギナルド将軍に、協力したら独立させると約束し、マニラの戦い (1898年7月25日~8月13日)でフィリピンの独立を援助する名目でスペインを破った。併し、12月10日のパリ条約に於いて、米国は表向き2,000万ドルでフィリピンを購入した。(パリ条約)

実際、裏では独立の約束を反故にされた不満を持つフィリピン人を20万人も虐殺している。当時のフィリピン兵の総数は1万8000人であったから、虐殺された18万2000人は民間人である。殺された20万人の内、実に90%以上が無辜の民であった。

米国は、歴史的に「汚い」「信義に悖る」「残虐」な事を散々やってきた。その米国が自国のなしてきた事を総て棚に上げて日本を「侵略国家」とするのが、「戦後世界秩序」である。米国はいつまでも そうしておきたいのだろうが、日本人は何時迄も「戦後世界秩序」「東京裁判史観」に毒され続けている訳にはいかない。

その米国が、日本の「真珠湾攻撃」を騙し討ちと称して、鬼の首を取った様に、国内向けに「リメンバー パールハーバー」のスローガンを掲げて、参戦できる様に『お膳立てしていた時から』、大東亜戦争は既に始まっている。決して「真珠湾攻撃」開始がきっかけなどではない。

1937年(昭和12年)の日支事変(戦後教育では日清戦争)の2年前に、米国議会は「中立法」を可決した。「中立法」とは元々、1907年のハーグ平和会議で成文化された「中立に関する国際法上の規則」の総称で、中立国は交戦国の攻撃を受けず、その領土を侵される事はないが、交戦国に対して戦争遂行上の便宜・援助を与えてはならない、とするものだ。

併し、米大統領 F・ルーズベルトは日中に限って「適用しない」と宣言した。ルーズベルト家は清国に対する「アヘン戦争」で大儲けした家柄である。清国を蔑視こそすれ好感を抱いている筈はない。ルーズベルトは個人的感情で日本を嫌っていたとしか思えない。

そのルーズベルトが米国正規の陸軍航空兵を義勇兵に仕立てる為に、一旦 軍を退役させ、高給で支那に雇わせた。復帰したい者は現役米軍兵と同じ待遇で戻すと約束までしている。これでは現役の米軍が支那に加勢するのと同じではないか。ハーグ平和会議で成文化された「中立に関する国際法上の規則」違反である。

ルーズベルトは1941年(昭和16年)5月(真珠湾攻撃の約半年前)に、150機の爆撃機と乗組員を支那に貸し与え、機体に「青天白日旗」のマークを記し、「東京・横浜・大阪・神戸」を奇襲爆撃する気でいた。勿論、宣戦布告などする気は微塵も無かった。ルーズベルトは側近に軍事顧問団まで派遣するようメモを渡している。その奇襲爆撃隊はフライング タイガーと呼ばれた。

この企ては、対ドイツ戦で劣勢に苦しむ英国のチャーチルを支援する為にご破算になった。「青天白日旗」は大慌てで「英国旗」に塗り替えられた。(何れにせよ「中立法違反」である)これひとつ見ても、真珠湾を攻撃しようがしまいが、日米戦争は始まっていたというのが分かるだろう。

史実にはこんな証拠も残っている。日本が仏印インドシナ)に進駐する10日前の7月18日に、ルーズベルトは日本への奇襲攻撃にOKのサインを出している。

また、同年2月には、ルーズベルト国務省内に特別調査班 Special Research Division を設置している。コーデル・ハルの補佐官、ハルボルスキーを班長として、国務省員ヒュー・ボートンに、「対日戦勝後の日本の処理を研究」させている。更に「対日講和条約(案)」もつくっていた。これが日本国憲法の原案となる。大東亜戦争 開戦前に「日本国憲法」案はできていたのだ。

対日講話条約 骨子案は…
・完全非武装化
・徹底した(米国の為の)民主化
天皇は在位させて利用する
・日本政府を介しての間接統治
…これは日本国憲法そのものである。その他…
・日本には永久に軍隊を持たせない
・飛行機は一機もつくらせない
軍需産業の永久禁止
原子力は平和利用も許さない
・戦略物資の調達禁止
…等々。F・ルーズベルトは、開戦前からここまで日本を憎んで、無力化させる気でいたのが史実なのである。実際、マッカーサーは、この「対日講和条約案」に沿って「日本国憲法」を部下につくらせた。

ではなぜ米国は、ここまで「大日本帝国」を憎んだのか。それは、1919年のパリ講和会議国際連盟委員会に於いて、「有色人種である日本人が『人種差別撤廃』を主張」した事。有色人種である大日本帝国が、「米国を始めとした白人宗主国の利権を脅やかしかねないという事を、日露戦争の勝利で見せつけてしまった」事。このふたつに尽きると思う。

大東亜戦争」は、日本が「日露戦争」に勝ち、「人種差別撤廃」を白人に対して公に主張した時から始まっていたのだ。
誠に情けない事に、「戦後世界秩序」「戦後レジーム」「東京裁判史観」は、我々 日本人の中から完全には抜けていない。未だに「護憲派」「9条信者」「念仏平和主義者」が相当数存在する。然も侮れない数である。

更に改めねばならないのが「日米安保 盲信者」である事を付け加えたい。フィリピンの再 植民地化を例にあげるまでもなく、米国は有色人種相手に、いとも簡単に嘘をつくし、然も残虐な事を平気で為す。アメリカ インディアンも散々白人に騙され、最後には殲滅されてしまった。

今の日本の防衛体制は、殆んど単独での作戦を想定していない。大部分は米軍との共同作戦が中心である。米国の衰退が進み、内向きになった時、システムで動く近代戦に於いて、今の自衛隊 単独では100%の力を発揮できない。極論すれば、米国の都合でいつでも丸裸で、いや、薄着で放り出されるという事である。

国防は常に「最悪」に備えるべきものだ。そろそろ自己完結型の防衛を考えるべき時がきている。