阿比留 瑠比氏のFBより転載

 長年、慰安婦問題なんかにかかずらわっていると、なかなか言葉にし難い、名状し難い徒労感やあほらしさに悩まされることが多くありました。最近ではメディアによく出る慰安婦問題の第一人者の一人、現代史家の秦郁彦氏にしても、ある時期は「もうこの問題にはコメントしたくない」と言っていました。

 要は、ある程度勉強してどこに問題の所在があるのか、何が議論されているのか分からない問題なのに、何も知らない、知ろうとしないテレビ子メンターのような人が、良識ぶって善人ぶって、何も勉強せずに事実と異なる感情的なコメントをまき散らし、影響力を持ってきたからです。

 人が根拠なく思い込んだことは、根拠を示しても容易に覆せません。人は見たいことだけを見て、聞きたいことだけを聞く性質があるからです。そんな中で、秦氏のような専門家も、言うだけ無駄という気分になっていたのでしょう。私自身、このままこの問題が過ぎ去った過去の話になるのであれば、これ以上、言い募っても仕方がないかと思ったこともありました。

 ですが、やはり違うものは違う、ということですね。産経が平成9年に朝日と慰安婦問題で論争した際、私は明確に勝ったと考えていますが、そのときは読売も毎日も議論についていけず、あるいは関心がなく傍観していました。あの頃、現在のようにインターネットが普及していればなあと、ときどき思います。

 あのころは、半ば絶望しながに自分自身と産経の非力を痛感していましたが、ネットによって状況は変わりました。単なる部数を超えて、事実は伝播し、影響は広がっていきます。時代は変わったなあ、としみじみ思うのでした。