2014.1.17

あの日から早や19年が経ってもうた。
私は当時は大阪北部に住んでて、父親が末期がんで13日から入院しとったんで、13~15日は私が病院に泊まり込み、16日の夜に母と交代し、そのまま仕事の打ち合わせに行き、帰宅したんが深夜3時。
ぐっすりと寝込んでたのか、家内の叫び声でようやく目が覚めると、ものすごい揺れで、家中の家具やらなんやらが大きな音を立てて倒れてる。
私は川の字になって寝ていた家内と息子の上に覆いかぶさって家具の転倒による被害を防ごうとした。
しばらくすると揺れが収まったので、とりあえず照明を点けてみると、小型の家具やスピーカーは倒れているものの、さほどの被害は出ていないようなので、再び布団にもぐりこんで寝た。
7時ごろに起きてテレビをつけると・・・
「ん? なんやこれ? 高速がひっくり返っとるがな・・・? 外国か・・・?」
寝起きの頭には事態が把握できずにいたが、それが神戸と判って驚いた!
そうしているとチャイムが鳴り、兄が「大丈夫かっ?」と息せき切ってやってきた。
なんでも兄は倒れた家具の下敷きの状態から、100円ライターの灯りを頼りに脱出したとのこと。
あわてて父の病室に電話を入れるが、まったく繋がらない。
ベランダから西の方角を見ると空が煙のようなもので霞んでいるのが見える。
そこで私の携帯が鳴り、応答すると契約している在阪テレビ局のチーフからで、「やっと繋がった、大至急神戸支局へ入ってくれ!」
さあ、そこからが私のその後の人生観や価値観を変えることになる半年間の始まりやったわけですが、そのへんのことはまたの機会ということにしといて、とにかく19年が経ったわけですわ。
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今年はよう参列せんかったけど、神戸では今年も1.17の集いが開催されました。
改めて、震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
http://photo.sankei.jp.msn.com/kodawari/data/2014/01/17hanshin/

私が震災当日にバイクで神戸市中心部に向かっていると、倒壊した家屋や病院の中に多くの人が取り残されている現場に遭遇しました。
しかし、そこにいる人たちも成すすべもない状態で、警官ですら呆然としている有様です。
上空には自衛隊のヘリが飛んでいるものの、まだ陸上部隊の姿は見えません。
しばらくして判ったことですが、当時の村山首相や兵庫県知事、神戸市長までもが自衛隊への要請を出し渋ったのです。
もちろんこれは情報が錯綜し、地震発生初期の段階では被害の実態を把握できていなかったこともありますが、発生直後に出動態勢を整えた自衛隊は、「なんで出動命令が出ないんだ?」と皆が思ったようです。
結局、現場指揮官の判断で、「偵察訓練」という名目で見切り発車することとなったようですが、即座に出動命令が出とったら、きっと多くの命が救えたはずです。
左巻き自衛隊反対勢力のおっさんらが首相や知事を務めとったんが本格的出動が遅れた最大の原因です。
こいつらは正に、あの震災の「戦犯」みたいなもんです。


【阪神・淡路大震災】被災者を支えた自衛隊への感謝と見送り[桜H22/1/15]

さて、都知事選ではアホの一つ覚えみたいに「脱原発」を声高に叫んで、白髪頭や禿げ頭が有権者の関心を引こうとしとる。
しかし、東京には原発は無いし、そもそもそれは国政でやるべきテーマや。
脱原発」を唱えるなら国政選挙に出馬してやるのがスジっちゅうもんや。
それを都知事選で持ち出すっちゆうのは実に姑息やと思う。
もちろん東京は日本の首都であり頭脳であり心臓や。
そこから日本や国政を変えるっちゅう理屈も解らんではない。
しかし、東京にいま大事なんは、いつくるやも判らん大地震や災害への備えや。
そのうえオリンピックも控えとるんやから。
政治経済の中心である東京は、1千300万もの人口も抱える大都市で、そこであの阪神淡路大震災東日本大震災みたいなことが起こった時、一人でも多くの命を救い、被害を最小限に食い止めるには自治体と自衛隊の強力な連携が必要不可欠で、これは一朝一夕で出来るようなもんやない。
日ごろからの警察消防との合同訓練や、震災発生時における自衛隊の出動条件なんかの整備も急務としてある。
そうなってきたら、時期都知事には誰が相応しいかはアホでも解るはずや。
あの神戸の時みたいなことが東京で起こらんようにするには誰に投票すべきか。
ほんで、東京がモデルケースとなり、それが全国の自治体に波及して、災害に強い日本になることが大事や。
今回の都知事選は正に都民の見識が問われることになりまっせ。